新聞販売店のおじさんが飼っている山羊さんたちのその後

隣りの市の新聞店のおじさんが空き地で飼っておられる山羊さんたちが、小屋が不備で雨に濡れ下は泥水がたまり、酷い飼い方だと怒りのブログを書いたが、今日、小屋がはずされ焼かれていたのでびっくり。

そばにおじさんもおられたし、すぐにどういうことだと訊こうと思ったが、その前に、昨日指導に行かれたはずの指導センターに電話をかけて、どのような話し合いになったか伺うことにした。

昨日行った方は今日はおられないそうで、話し合いの内容はわからない、ということだったので、結局直接おじさんと話すことに。


火のそばにいたおじさん、私が「こんにちは、おじゃまします」と声をかけると振り向き、私の顔を見たとたん、相好をくずし、「やぁやぁ、山羊の世話をしてもらってすみません」と言われるではないか。

「い、いえ、世話と言うほどのことはしていませんよ。一昨日雨が床にたまっていたので、すのことカーペットを敷いただけで・・・」と答えながら、『はて? 山羊の世話をしている人が実際におられて、その人と間違われたのかしらん?』と思いつつ、「おじさん、小屋壊しちゃったんですね。山羊たち小屋がなくなったら困るのでは?」と気がかりの本題に入る。

「いや、山羊たちはもともと別の場所に小屋があるんだ。そこに戻すことにしたんだ」

「私、センターに山羊の飼い方のことで指導をお願いしたんだけど、それで移動されるんですか? 私はここで山羊を飼うのがいけないと言ったんではないんですよ、飼い方が気になって改善してほしいと言ったんですよ」

「いやぁ、わかってるよ、わかってるよ。前から、ここはわしの土地じゃないし、近くの交番や市役所からもなんだかんだ言われてたんだ」

「じゃ、何のためにここであんな飼い方してたんですか?」

「まぁ、いわば癒しだね。子山羊を見て喜ぶ人もいるし」

「そうだったんですか。それなら、土地の所有者から正式に借りて、しっかりした小屋を建てて飼ったらどうでしょう。私、世話を手伝いに来ますから」

「いやいいんだ。あっちはここよりちゃんとしてるから」

こんな会話のほかに、お母さん山羊のお乳がはっているのに、子山羊が飲まないから心配だという話を聞き、知り合いの家畜専門の獣医さんに電話をかけ、診察に来てほしいとお願いする。だがおじさんは、向こうに連れて行ったら、手当をしてやるから大丈夫だと断られた。

私は大変そうなことに同情してしまい、帰る前に、財布に入っていたお金を全部カンパした。(灯油代と今月のガソリン代金のためのお金だった。これで我が家はもうストーブはつけられない。そして今車に入っているガソリンがなくなったらどこへ行くにも歩きだ。・・・いつもこうだ。何か気の毒だと思うことにであうと、自分の困窮状態を忘れて手持ちを0円にしてしまう。・・・・・これでさっぱりとしてればいいものを、あとになってこうやってクヨクヨしてしまうのだ。まったくトホホホな小心者です)


こういう仕儀であったが、時間がたつにつれて腑におちないことがいくつか胸にわいてきたのだ。おじさんと話している最中、年配の女性が来られたのだが、この時、別の土地に小屋がある話をされていた時で、「な、〇〇の方はちゃんとしてるよな」とその女性に同意を求められたのだが、その女性は顔をそむけられたのである。

また、私に対して、異常にへりくだっておられたのも妙な気分がするのだ。

ほかにもいくつか。おじさんはあっけにとられるぐらい饒舌で、私が訊くこともしてないのに、いろいろ山羊に関することを長々と話をされたのだが・・・いずれも胸に塵がつもったような感覚で残っているのだ。

・・・・・・・・いや、この塵は疑心暗鬼にかかりやすい私自身がはく塵に違いない。

おじさんは、癒しのために山羊を飼い、疲労して不備を晒してしまっただけだ。場所はわからないが、きっと向こうの場所で大事に飼われるのに違いない。そうに違いない・・・・・・・・・・・。