余計なお世話と思ったが・・・

私はこれまで近隣のお宅の何匹もの犬や猫の不妊手術をしてきたり、他所の方の飼い犬にごはん運びをしてきた。それらはいずれも、『このままでは苦しみながら死に至ってしまう!』という気持ちにかられる事態があって、悩みに悩んだ末の行動であった。こういうことをブログなどでは高みの視線で書いていることが多いが、実際は、『人には人の事情や考え方のあることだから』ということはわかっており、決して高飛車なやり方はせずむしろ遠慮しながらの行為であった。


と前置きはこのくらいにして、今回の事情だが、実は隣接しているお宅には二匹のミニチュアダックスフンド(というんだったかな?)を飼っておられる。
この二匹のうちの一匹か両方かは定かでないのだが、ここ半月ほど、のべつくまなく夜半過ぎてもキャンキャンキャンキャン鳴いているのである。時々、おばあさんの、「うるさい!」という怒声も聞こえる。
このことが気になって気になって食事もとれないほどになっていた。それは、鳴き声が悲しげで必死の懇願と感じてならなかったからだ。私は単なる犬のほえ声でよその方に苦情を言うことなどはない。思いもしない。だが、哀願の声が続き過ぎると、『どうしたんだろう? 何を困っているのだろう? 何から救われたいと言っているのだろう?』と哀れで辛くてならなくなるのだ。


そして昨夜、いかにも哀れな泣き声は、一晩中と言っていいくらい続いていた。私はその声が可哀そうでとうとう眠らなかったので間違いなく夜通し鳴いていたのだ。
それでとうとう、つい先ほど、庭におばあさんの姿が見えたので行って訊ねた。
「お宅のワンちゃん、どこか具合が悪いんじゃないですか? ずうっと鳴いているので、苦しいところがあるのかなぁと気になって」
「いや、籠にいれてるだけだ」
聞くと、これまでは入れていなったが、部屋の事情もあって入れるようにしたのだという。どうもうるさいので声が届かないように家の中のどこかに置いておられると察しられる。
私は真剣になって、「そういうしつけが必要なこともあるでしょうから、籠にいれるのが悪いと言うのではないのですが、ただ急に入れられた犬は不安になったり寂しかったりするので、できるだけ声をかけてやれる状況にして、暑さのストレスを与えないなどの心づかいをしたほうがいいかもしれないですね。不安と寂しさのストレスが続くと、腎臓や肝臓を悪くして死ぬこともあるそうですよ」など訴えた。


おばあさんは頷いていらしたが、犬に対してどのような気持ちになられたか気になる。反発感で犬への愛情を失うようなことになっては大変だからだ。人によって誰かに何か言われると、犬にあたるような結果になることがあるとも聞く。もしそうなったら犬を助けるつもりがかえって可哀そうなことになってしまう。


私のような暮らしになっていると、単に犬や猫の世話が大変とか、経済的に苦労だとかという問題に加えて、こうした気遣い、気がかり、気重も背負ってしまうことが多く、これが辛いんだな。


このお隣のことはさておき、今の猛暑のなか、人間が受ける労苦が犬や猫にしわよせされることのないように祈りたい。
いいことも、悪いことも、つらいことも、犬や猫も含めて、ともにわかちあって頑張れるといいね。