こども電話リアル

日曜日の朝の9時から、「こども電話リアル」という、こどもの悩み相談の放送がTBSラジオであって、私はだいたい聴いている。
こどもの​悩みが70歳の自分の惑いに殆ど重なる。・・・相談にのっているレモンさんは、言葉のちょっとしたこともキャッチして、そこからスルスルと絡まった糸をほぐすようにこどもの心を開いていき、重そうだったこどもの声が青い空に浮かんでいこうとする綺麗な色の風船のようになっていくのを、私は結構真剣に聴いているのだが、でもふと思う。「ほんとに心の危機、命の危機にあるこどもは、ここに電話してこないだろうな・・・それすら出来ないこどもはいっぱ​いいるんだろうな」と。

・・・・・でもでも尚思う。「そういうこどものひとりだった私は今も苦しみながらもこうして生きてきた。みんなきっと生きていく・・・」と。そしてひととき祈る。


facebookにも投稿ー

親の様子

今日は千葉行き。片方の目が不自由になり、ちょっと精神的に調子のよくない継母の陣中見舞いだ。
先日付き添った病院の先生のお話では、身体は大変健康で心配な要素はまったくないですよ、ということだったので安心はしているのだが、やはり片方の目がよく見えなくなると不自由な感覚などもありストレスは大きいようだ。
そのせいだと思うのだが、とにかく尋常でない大食で、会うたびに確実に太っている。
そして何より気になるのが微妙な変化。例えば私に、「Kさん、髪ぐらい染めなさいよ。みっともなくてしょうがない」と怒り口調で言うのである。
継母は私が二十歳の時に父と結婚した人なのだが、真意はともかくとしてこれまで私には遠慮がちで、こういう言い方をしたことがない。年をとって実の親子の感覚になったのだ、とも思えなくもないが、どうもそういう感じとは違うような・・・微妙な???なのである。

ま、いいか、なるようになるの心境でせめて優しくしてあげたいと思う。優しくしてあげたい、と言葉にしてしまうと傲慢だが、なにしろこれまで私は継母に素っ気なさ過ぎた。(だいたいたいていの人にそうなのだが)
継母から、我がままで死ぬまで未熟だった私の父は本当によく尽くしてもらった。
その父が死んだ後、継母は「実は中国に戦争中に行き、そこで娘を産んで敗戦後置いて日本に帰った」と告白した。これを聞いた時、継母の苦労が胸に痛く、何としても娘さんを見つけてあげよう、神様が継母に恩返しをするチャンスを下さった、と熱い思いがこみ上げたものだ。
そして友人たちの協力を受け、三人の娘の消息がわかりその年中国に行ったのだった。

私はこの経緯を、ひとつの恩返しをした、と思っているのだが、本当の恩返しはこれからかもしれない。
現在私は福島の動物たちの痛ましさに傷つき、自分の体調もよくないぐらい思い詰めているのだが、
この問題をはなれ、老いてやや危なげになっている継母をゆったりと見守ってあげたい。・・・今日しみじみとそう思いながら帰ってきた。

何度でも問いたい。警戒区域の家畜、ペットを銃殺して終わりにしたいのですか。許さない!

警戒区域の家畜もペットもどんどん銃殺させてほしい]とジャパ ンケンネルクラブ理事長が発言! ・・・というニュース。http://banbihouse.blog69.fc2.com/blog-entry-2588.html

同じことを何度でも問いたい。

このニュースを知ってどうしようもなく許しがたく思うのは、政府 、自治体ともに救済の策を真剣にとらず、義援金の使途も果たして 公正に動物たちのために使われているかどうか不明にし、民間レス キューを公正に認めずにいて、ここにきてこんなことを考えるのか !ということ。


なんという悲しく虚しい国か! この国を欺瞞の花園にして人心を 堕落させ全てを滅ぼすのはあなた方こそだ! 
後世にどう伝えてい くつもりか!!! 
地震津波原発事故に襲われた未曾有の大震災の時、国は、人間 は勿論、動物たちの命も懸命に救った、と伝える国になれないか。
国は動物たちを故意に餓死と凍死に追い詰め、最後は残らず銃殺し た、と伝えるのか。

これでいいのですか!

震災の動物たちの悲しいことが多くて・・・

ツイッターフェイスブックもブログも、震災の動物たちの悲しいことが多くて、すっかり参っています。政府や自治体が救いの方向に動こうとされず、私自身もまたうちの動物たちの命を一日一日つないでいくことにせいいっぱいで、思うように動くことが出来ず、そのことが辛くて重くてならないんですね。
どんなに祈っても祈っても悲しみと不安感と孤独感は強くなるばかりです。

なんとかここを乗り越えて頑張りたのですが・・・ごめんなさい。

福島に帰りたいのかなぁ・・・

昨年の30日にうちの猫になったフクちゃんとバロちゃんとクモちゃんの故郷は福島の警戒区域。三匹とも身体の大きなオス猫で、それぞれ三匹ともうちには慣れてきてくれているのだけど、三匹同士は互いに宿敵の間柄。まるでそれが仕事のようにケンカしまっくている。


でも静かになっている時がある。窓から外を眺めている時。左がフクちゃん、右がクモちゃん。じいっとひたすら外を見つめている。


帰りたいのかなぁ。故郷では自由に外にも出られたろう。みんなそれぞれボス猫していたかもしれあいね。どんなに楽しかっただろう。幸せな日々だっただろう。

ごめんね・・・外には出してあげられず、家も狭く、知らない猫がわんさといるこの家。居心地あんまりよくないね、ごめんね。


カーテンを閉めていると、カーテンをくぐって窓わきに立ち、影のようになって外を見つめるフクちゃん。


クモちゃんは洋服ダンスの上に毛布を置いた寝床がお気に入り。フクちゃんやバロとひと騒動あった後は、ここに避難して「眠るに限る」とばかりにすやすや。


バロちゃんはテーブルの下の電気座布団がお気に入りで、仲良しのミーコとギンちゃんと眠っている。この写真はしばらく前に撮ったもの。


明日はあの大地震から一年目の日。
11日が近づくにつれて不安感のような悲しみのような重い気持ちが強くなってしかたがない。祈っていると少し落ち着く。だからこれからしばらくネットを休んで祈りながら日をおくろうと思う。

「長崎夏海の直球勝負」を読む(著者 長崎夏海/装丁 中川英祐/発行 プラス通信社/発売 影書房)

私が子どもだった時は、しょっちゅう騒動をおこしていた。ビールの王冠をつぶしてバッジにするために線路に置いたり、住宅の水道栓をあけて「噴水だぁ」と騒いだり、学童保育を抜け出して焼き芋屋」さんの手伝いをしたり、パトカーにのせてくれと交番の前に居座ったり・・・・・・。それでも、なぜか、自分のことを「良い子」だと思っていた。そして、きっと、まわりのおとなも、私を良い子だと思っていると信じていた。

この本はこうしてはじまる。
私は読み始めてすぐに、「そうか、長崎さんは、世界中の“良い子”にこの本を書いたに違いない」と思った。
そしてそれはそのまま、長崎夏海のデビュー作「A DAY」に代表する痛みつづけた少女たちにだ。
と言ってしまうと、作者はいやだと思うかもしれない。それではまるで孤独だった魂の自己慰撫のようではないか、と。


とんでもない。自己慰撫としてなど読むわけないではないか。むしろ逆だ。自分の身を削り取って自分の芯に向き合おうとしているような、そんな疼きを感受していた。


教師や親やまわりの大人たちに悪態をつき、教師のいじめの標的にすらされるほど存在感の確かな“良い子”の芯は・・・それは読む人それぞれに受け止めるものは異なるだろうが、私は、素っ気ないほど飾り気のない、でもそれは高慢や無知の素っ気なさでない、ひとことで言葉を探すのは難しいのだが、“純朴さ”“素朴さ”の姿が顕われた、と言ったらいいだろうか。


例えば、「本の力」の章で、「流全次郎(男組のヒーロー)は好みの男性で、王子さま(星の王子さま)は心の宝物の男の子だった」とあるのだが、なんと余計なものを身に着けていないさっぱりと純朴な子だろう、と私は胸がいっぱいになってしまった。
もしかしたら作者自身も、読者の多くの方も、そんなに感動する特別な表現の個所ではない、と言われるかもしれないが、壮絶な“不良”として生きる中学三年の少女が、さりげなくこうした意識を抱き続けているというのは普通ではない。これはまさに“野の花”の本質なのである。

私はそして、こんな野の花を、残酷にさまざまに飾り立てさせてしまう教師や親という大人になってしまったものへの怖れ、そう、自分も別のところで深い傷を受けたという怖れを持つとともに、そうした大人の宿命こそ残酷で、だけど哀しいけど気付かなければ誰もが、まさに少女たちも、ある面においては、少女たちをいたぶる教師や親になってしまっていることもあるだろう、とさまざまな物思いを抱いた。


そのことは、作者自身がよくわかっており、仲間との関係の中で、その宿命をより知ろうとする日が来ることを予感させている。こういうところをいかにもな書き方をせず、のほほんと書き過ごしているところが、長崎夏海の純朴さでありスケールの大きさなんだろうな、と思った。


話をもとに戻すが、私はこの本を読む現在の中学生たちが、自分の“本質”に気づいてくれることを願うし、それに至る力をひそめた本であると思う。


感想としては以上が竹の節のように自分に突きつけてきた点であるが、もう一点正直に本音を吐露すると、タイトルにはちょっと違和感を覚えるものがあった。
風はどんなに激しく吹こうと、勝負のために吹くことはないのだ。私はこの本を自分の内から自然にわき起こる風ととらえたものだから、それに相応しいタイトルがよかったなど思ってしまった。

新聞販売店のおじさんが飼っている山羊さんたちのその後

隣りの市の新聞店のおじさんが空き地で飼っておられる山羊さんたちが、小屋が不備で雨に濡れ下は泥水がたまり、酷い飼い方だと怒りのブログを書いたが、今日、小屋がはずされ焼かれていたのでびっくり。

そばにおじさんもおられたし、すぐにどういうことだと訊こうと思ったが、その前に、昨日指導に行かれたはずの指導センターに電話をかけて、どのような話し合いになったか伺うことにした。

昨日行った方は今日はおられないそうで、話し合いの内容はわからない、ということだったので、結局直接おじさんと話すことに。


火のそばにいたおじさん、私が「こんにちは、おじゃまします」と声をかけると振り向き、私の顔を見たとたん、相好をくずし、「やぁやぁ、山羊の世話をしてもらってすみません」と言われるではないか。

「い、いえ、世話と言うほどのことはしていませんよ。一昨日雨が床にたまっていたので、すのことカーペットを敷いただけで・・・」と答えながら、『はて? 山羊の世話をしている人が実際におられて、その人と間違われたのかしらん?』と思いつつ、「おじさん、小屋壊しちゃったんですね。山羊たち小屋がなくなったら困るのでは?」と気がかりの本題に入る。

「いや、山羊たちはもともと別の場所に小屋があるんだ。そこに戻すことにしたんだ」

「私、センターに山羊の飼い方のことで指導をお願いしたんだけど、それで移動されるんですか? 私はここで山羊を飼うのがいけないと言ったんではないんですよ、飼い方が気になって改善してほしいと言ったんですよ」

「いやぁ、わかってるよ、わかってるよ。前から、ここはわしの土地じゃないし、近くの交番や市役所からもなんだかんだ言われてたんだ」

「じゃ、何のためにここであんな飼い方してたんですか?」

「まぁ、いわば癒しだね。子山羊を見て喜ぶ人もいるし」

「そうだったんですか。それなら、土地の所有者から正式に借りて、しっかりした小屋を建てて飼ったらどうでしょう。私、世話を手伝いに来ますから」

「いやいいんだ。あっちはここよりちゃんとしてるから」

こんな会話のほかに、お母さん山羊のお乳がはっているのに、子山羊が飲まないから心配だという話を聞き、知り合いの家畜専門の獣医さんに電話をかけ、診察に来てほしいとお願いする。だがおじさんは、向こうに連れて行ったら、手当をしてやるから大丈夫だと断られた。

私は大変そうなことに同情してしまい、帰る前に、財布に入っていたお金を全部カンパした。(灯油代と今月のガソリン代金のためのお金だった。これで我が家はもうストーブはつけられない。そして今車に入っているガソリンがなくなったらどこへ行くにも歩きだ。・・・いつもこうだ。何か気の毒だと思うことにであうと、自分の困窮状態を忘れて手持ちを0円にしてしまう。・・・・・これでさっぱりとしてればいいものを、あとになってこうやってクヨクヨしてしまうのだ。まったくトホホホな小心者です)


こういう仕儀であったが、時間がたつにつれて腑におちないことがいくつか胸にわいてきたのだ。おじさんと話している最中、年配の女性が来られたのだが、この時、別の土地に小屋がある話をされていた時で、「な、〇〇の方はちゃんとしてるよな」とその女性に同意を求められたのだが、その女性は顔をそむけられたのである。

また、私に対して、異常にへりくだっておられたのも妙な気分がするのだ。

ほかにもいくつか。おじさんはあっけにとられるぐらい饒舌で、私が訊くこともしてないのに、いろいろ山羊に関することを長々と話をされたのだが・・・いずれも胸に塵がつもったような感覚で残っているのだ。

・・・・・・・・いや、この塵は疑心暗鬼にかかりやすい私自身がはく塵に違いない。

おじさんは、癒しのために山羊を飼い、疲労して不備を晒してしまっただけだ。場所はわからないが、きっと向こうの場所で大事に飼われるのに違いない。そうに違いない・・・・・・・・・・・。