死因

夫の死の日からまもなく二十日になろうとしている。ずうっと夫の死を考えていた。考えたくてそうしていたのではなく、自然に五臓六腑が”あの死”に向くのだった。
日毎に鋭利になっていく私の神経は、夫のあの惨めなかわいそうな死の姿の意味と結果をさぐろうと触手を伸ばしていくのだ。


夫の死は私が阻止すべきものであった。私は日頃から、胃ろうに関わることで、ある不審と不安をもっていた。造設したことそのことに不審と不安はなかった。半年経って造設しなおしてからのことだ。最初につけた小さなボタン型のものが注入後もれたりボタンのねもとの皮膚が赤くなるので、相談すると、夫が少し太ってきたので、次につけかえるときチューブ型にすればいい、ということであった。それなら本人への負担も少ないということで、私はそれにとても安心したのだった。
付替える前も当日も、私は、「チューブ型にするんですよね」と言葉に出していった。主治医の先生ではない医師はうなづき、看護士さんも「そうだ」というような笑顔だった。


だが終わって、帰宅してみて愕然とした。みるからに大きな硬いボタン型になっていて、ベッドの上がり降りや車椅子によく乗り降りする夫に負担になる気がした。だが、私は言葉で確かめての上だし、患者に悪く作用するものにするわけがない、このタイプがよりいいからそうされたのだ、と自分に言い聞かせた。


ボタンのまわりが常に血で汚れ、夫は苦痛を訴えるようになった。当然検診のときにそれを伝えた。だがいつもたいしたことのない普通のことのようにいわれた。
このことが日に日に私の魂に痛みとなってつきつけてくる。なぜヘンだと感じた時にきちんと対峙してくれる病院にいかなかったのか。以前に友人がすすめてくれ紹介してくれていた老人医療専門の病院も知っていたのに。
・・・・・・私の疲労は、医療関係、介護関係の人々への失意を大きくしていた。”私と夫のために本当のことを教えてくれる人はいない””みんな自分を守りたいのだ”とわかっていた。このことは現代のどこにそうでない人がいるか、という諦めと、自分だってその立場になればこんなもんだろ、と自虐感覚もあった。
こんなに疲れていた。不健全になっていた。
私の不健全さは、大きな硬い夫の腹部を常に圧迫させていたあのボタンは、猫や犬を捨て続けた人々が中傷し形作った価値観のままに、”チューブ型をすすめたが、売れ残ったものを使おう、あの人間にはそれでいい”とつけられたのだ、と感じている。そうでないなら、あれほどチューブ型にしましょうと、病院側で言っておきながら、私はそれを確認しているのにそうでない劣性のものをつけ、シレッーとしているだろうか、と感じている。


しばらく時が過ぎるのを待とう。この感受が、私の不健全さをあらわすものなのか、真実に敏感なものの正当な感受なのか、時間という万能物が教えてくれるだろう。



なんにしても、私は、胃ろうの状態が明らかに夫を痛めつけているのを感じていながら、そしてそれはすぐにしかるべき病院で検査をしてもらうべきことであったのに私はそれをしなかった。
私は限界だった。目の前にあるものにすがるしかできないほど疲れていた。それが”惰性”という”非力”の範疇を出ないものであると、もしかしたら、”動物にまみれた私たちの貧しい暮らしへの偏見”もあったかもしれない不審と不安を感じながら、それでもそこを突き出て正当に夫の病状に対してくれるところを探す力はもうなかった。限界だった。そして夫をあのようなかわいそうな死に方をさせてしまった。

私たちは一生懸命に生きてきたのに、もっているものもあったのに、社会や世間に賢明に対応する”力(処世を含め)”を知らなかったばかりに多くを失い、小さな町のそれは偏りのひとつに過ぎないことを知らない人々の蔑視を受けながら2010年1月10日に夫を死なせたのだ。


夫は私が感じていたようなこれらのことを知ろうともせず疑いもせず、全部を身に受けて黙って死んだ。その死は惨めさの上において聖人の死そのものであった。そして私は、自分の感じ続けたものに煩悶する”煩悩”に己を失うほど疲弊するだけになり、夫を唯々諾々と死神に手渡したのだ。私は、永遠に、愚人の苦しみを背負っていくのだろう。


ただただ、夫が優しい懐かしい父母と天で再会し、永遠に安らかに守られていくことを祈っている。

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時間がほしい。私が癒される時間がほしい。適正に今の危機を乗り越えたいのだ。
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真春さん
お花をありがとうございました。生前、夫を労わってくださり、本当にありがとうございました。胃ろうにしてしばらくは体重も少し増え、誰からも元気そうになったと言われていましたので、また埼玉に遊びに行けると楽しみにしておりました。こんなことになり残念で残念でどうしよもうありません。
真春さん、どうかお身体を大切にされて、いつまでも真春さんらしい生き方をしてください。心から祈っています。
春には個展を開かれますか。優しく強い動物たちにまた会いたいですね。


ふぇあり〜さん
お花を贈ってくださったそうですね。本当にありがとうございます。家に届きましたら、すぐに夫の遺影に飾らせていただきます。お花の香りは真実心を安らげてくれるんですね。夫もどんなに癒されるでしょう。
犬のこうめちゃんの里親さんになってくださったうえに、何年経ってもこのようにお優しいお心遣いをいただくこと、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。本当に本当にありがとうございます。