龍馬伝「収二郎 無念」

遅ればせながら、16日の龍馬伝の感想。

藩に囚われていた収二郎(宮迫博之)、厳しい拷問の後についに切腹を命じられて死ぬ。この命令の出し方も醜怪な権力(近藤正臣)の気まぐれに過ぎない。藩や国の未来を真剣に思っての若者の行為は、虫けら以下にしか扱われなかったのだ。収二郎の生還を必死に願ってきた武市半平太大森南朋)の心中はいかばかりだったろう。一度は藩主に認められたと信じて、一層の忠誠を誓って全力で活動してきた半平太と仲間たち。権力の心には、下士という身分への侮蔑もあったのだ。
半平太は、加尾に、「収二郎はなんちゃ悪いことはしちょらん!」と言う。加尾は、龍馬に手紙で告げる。「悪いことをしちょらんのやったら、なんで切腹をさせられたのですか? 龍馬さん、教えてつかわせ」と。
このシンプルな一言は、古今東西、自分を捨て社会や人のためになる、あるいはこうすることが義であると信じて、懸命に生きた人の普遍の問いかけだろう。

龍馬(福山雅治)は大阪の勝塾で才能や人間性を勝(武田鉄也)からも仲間たちからも信頼されて、骨身惜しまず働き学んでいた。そして、土佐勤王党の幼馴染たちにむごい死の運命が降りかかっていることを知り、「自分は安全なところにいて、何もできない!」と叫び慟哭する。

私は今回で、演出は龍馬を「光の子」として描いているのだと感じた。「光の子」すなわち、人間イエスだ。
これで、福山雅治が龍馬であることを本当に納得した。