初七日を過ぎ

14日に家族だけの葬儀で夫を見送り、昨日は初七日でした。虚脱状態だった私にかわって、息子がなにもかも滞りなくすすめてくれました。私がやらなくてはいけなかったら、おそらく倒れていたでしょう。夫の死で、私は本当にぎりぎりの極限状態にきていたのだと思い知りました。

これは夫の介護に疲れていたとか大変だったということではなく、これまでの捨てにこられる猫や犬の問題を、成熟した理性、社会性をもって対応することができなかった、私の貧しく未熟な家庭人生のツケを突きつけられていた、ということでした。それほど、この問題は深く大きいことでした。
理性では、このままでは我が家はどうしようもなくなる、賢明に対応しなくてはと、とうの昔からわかっていました。でも、幼い動物が母を求める悲しみや、老いて捨てられた犬猫の慟哭が、五臓六腑に突き刺さってくる私には、そんな理性はないものだったのです。
夫の死は、まるで、言い伝えられる、死んだら地獄で自分の行いを逐一見せられ悔恨に苦しむ、という刑を受けているように、掬い上げ抱きしめた猫たちや犬たちの数だけ、夫や息子たちから彼らが生きるに必要なものをむしりとり貪ったことを知らされたのです。


その重さにつぶれるように、葬儀の前から、私に胃痛、腹痛、下痢、発熱、嘔吐などがおこっていました。
が、昨日、夫の死から布団もしかず床に横になってうたたねをするだけの眠りだったのですが、その眠りの内に夫の夢を見たのです。夫は白い着物を着て、頭に死者がつけるとされている三角の布をまき、暗く狭い地中のようなところに横たわっていました。私も傍らに横たわり、夫の顔を見ますと、夫はやせ衰えている顔ではありましたが、目に光があって、そして、結構リラックスをしているように見えました。
私は、『ああ、この人は結構幸せだったんじゃん!』と思い、夢の中というのに、リアルな夫をかわいそうに思う気持ちが消え、厚みのある安堵感を覚えました。・・・と同時に目が覚めました。



目が覚めて、やはり、私は、夫は私が抱え込んだ事態を苦しみ悲しみ恨み、失意、落胆のうちに逝った、という思いがあらためてわいてきました。おそらく今も三途の川かどこかで、「こんなはずじゃなかった」と苦い思いをかみ締めているでしょう。本当にそれはそれは大変な事態をひきずってきたのです。


でも、家族の死というものは、生き残ったものに、なんらかの背負うものを置いていくものにちがいない。成熟した何の問題も招かなかった完全な人であってもそうにちがいない。まして解決のしようのない事態を招いた私が重い荷物を背負っていくのはあったりまえだ。

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だからなんだ? と言いたくなるような終わり方ですみません。つまり、こうやってケロリと生きるゾ、ということです。
自分のためにこんなことをメモリながらでも、確かに生きていきたいのです。