大河ドラマ「偽手形の旅」

夫が思いもよらない早さで旅立って一週間の夜、龍馬伝が放送されていた。ふと『そういえば今日は日曜日だ、龍馬伝の放送日だ』と思いテレビをつけたのだった。もう終わりに近かった。
どうやら、江戸に向かっているらしい龍馬とお付の侍らしい人と岩崎弥太郎が、四国最後の通行所で許可証を見せているところだった。一度「通ってよし」と役人から許可が出たのに、弥太郎の許可証に不審をもたれてしまった。弥太郎の許可証は弥太郎が作った偽証書(手形)らしかった。必死に弥太郎をかばう龍馬。うっかりすると龍馬もお付も打ち首になるかもしれないのに龍馬はひたむきにかばう。それを睨むように見ている弥太郎のぎらぎらした目。そしてついに弥太郎自身がここを騙しとおせない、こうなれば龍馬をこれ以上巻き添えにできないと命がけの悪態をついて龍馬とお付を行かせる。


本州に向かう船上で、龍馬とお付は弥太郎を案じ煩悶としている。その時、瀬戸内に点在するひとつの島にそそりたつ岩の上に傷だらけの弥太郎が立っているのが見える。弥太郎は逃げおおせたのだ。
「おまさんの志も継いで江戸で生きるちゃー!」と叫ぶ龍馬。「お前なんか大っ嫌いぞやー!」と返す弥太郎。命と引き換えても江戸に行き、身分制度に苦しむ世の中に対抗し成功の道を探りたかった弥太郎。尋常でない夢であり希望であり願いであり欲望であった。


この弥太郎の悪鬼の怨念にのたうっているような姿は、夫をなくして悪夢にいるような思いから抜けられなかった私に居住まいを正させてくれるものがあった。
龍馬と龍馬の時代を描くとき、きれい事の正義志向、平等志向、夢、希望が殆どであった。
己をきれい事の中心にすえていたら、そこから己もこの世に泥をぬるだけのことになるきに! 甘ったれもんの現世にゃ神も仏も願いもないぜよ!

・・・・・と感じたシーンであった。それにしても弥太郎を演じる香川照之には参った。龍馬の福山雅弘もそうだ。この人の精神の真っ直ぐさ、広さ、人間的な愛らしさ、自然さ、どれをとっても、坂本龍馬はこういう人だったに違いないと思わせる。