大河ドラマ「篤姫」における島津斉彬像への不満

篤姫はなかなか面白く、毎週楽しみに観ているが、回を追うごとに不満がふくらんでくる箇所がある。不満というより、ストレスさえ感じる部分である。
それは、下のエントリーでも書いているが、島津斉彬の描き方である。役者がいけないというのではない。演出である。原作を読んでないのでわからないが、もしかしたら原作がそうなのかもしれない。(読んでみなくちゃ)

ドラマの斉彬は、家定を「英明な将軍」と言い、篤姫を娘として愛しているように言い、またその言の通りの人物として高橋英樹は疑いもなく演じているが、このドラマの寒い部分はここである。ムリがある。
だって、家定が「英明」だと真に思っているのなら、次期将軍の世継ぎを決めるのは、英明な将軍にまかせておくのが一番幕府のためになるではないか。そして篤姫を送り込んだのは、家定が回りの暗愚な人間たちに危機にあいかねないので、慰め励まし守ってあげてほしい、ということであれば、これまでの高橋英樹の斉彬は完璧だ。
でもそうはとても思えない。

英明とは思っていず、愚鈍なうつけ、と思うからこそ、自分が国を動かす立場になるに絶好と、自分の臣下にあたる家の娘を養女にし、その娘を将軍のもとにおくりこみ、自分の意の通りに世継ぎを決めさせようとした・・・と考えると、このドラマの筋と意味は明確になりストレスが消えるのだ。
斉彬を悪にすればいいというのではない。政治家として国を思う、という人間像をもたせていいのだ。国を思うからこそ、うつけにまかせてはおけぬ、養女を送り込んで、自分が操作をするしかない、という真意であってもいいのだ。

とにかく、英明と信じており、篤姫を騙したのではない、とするのは土台を欺瞞という色で塗っていることになる。だからそこの寒さ、つまらなさは致命的だ。