26回 篤姫 嵐の建白書

時刻は、お世継ぎの問題で、島津斉彬高橋英樹)の意向を汲む派と井伊直弼中村梅雀)、本寿院(高畑淳子)派の暗躍が表立ちはじめ、篤姫宮崎あおい)の回りは不穏の色が濃くなってきている。篤姫にも、薩摩の養父、斉彬からの密書が届き追い詰められていく。そして、自分の本心を抑えて、家定(堺雅人)に、慶喜様をお世継ぎに指定してほしい旨を言ってしまう。それを聞いて、裏切られたような思いを抱く家定。寂しそうに、「そなたは信じるに値するものと思うていたが・・・」と部屋を出る。打ちしおれる篤姫


やがて斉彬は幕府に慶喜を次期将軍にという建白書を出し、本寿院は激怒、井伊は強く深く反発をする。
慶喜擁護派は朝廷に働きかけ、それを阻止しようと動く井伊派の熾烈な攻防の結果は、慶喜派の負けとなるなど篤姫の立場は危うくさえなってくる。そのことを、薩摩の小笠原たてわき(瑛太)は案じる。


だが、家定が、篤姫に対して、「そなたの立場なら、父の要望に添おうとするのは当然じゃ」と理解と愛情を示し、篤姫は、自分の本当の気持ちに従っていこうと思う。この時期は幕府、時代、そして相反する立場にいるもの全てに危機が孕んでいたが、篤姫の想いは幸せであった。人間にとっての一番の幸せは何であるかをしみじみと感じさせる展開を、宮崎あおい堺雅人は清らかに演じている。
斉彬の命令こそ命、のようであった幾島(松坂慶子)も、井伊派の動きに押されていることに心を痛めながらも、篤姫の想いを労わる視線を見せている。篤姫の人間としての真っ直ぐさ、真実の情愛を隠そうとしない高潔さに共感しているのだ。篤姫を守ろうとする思いと斉彬の使命の狭間で幾島も苦しんでいる。


それにしても感じるのは、斉彬にしても井伊直弼にしても、影響力のある人物としては描かれているけれども、何というか、国を思う烈しい魂のようなものが見えないことだ。これは決定的な欠落点ではないだろうか。

斉彬は高橋英樹という清廉潔白なイメージの強い役者が、正しい存在として演じているが、このドラマの経緯を見る限り、斉彬は策謀に長けた野心家としか理解できず、今回は、国の将来のために、古い体質を変えねばならないと力説はしているがリアリティに欠ける。篤姫はどう考えたって、この男に利用された見捨て置かれるかわいそうな女性の流れだ。
”政治家”としての男の善悪を超えた”理想”が、斉彬と井伊から発しられなければ泡のようなドラマで終わるゾ。