夫、ショートスティに行く

ここのところ、夫はずうっとデイサービスも休んでいた。「行きたくない」と言うのだ。その様子から、ショートスティなどおよびどころではなく、私は内心困ったなぁと思っていた。夫がショートスティに行ってくれなければ、仕事にも遊びにも(私が遊びにいくために夫にショートスティに行ってもらうということは殆どないが。願望はあるのだけれども)行けない。都心に出て映画一本観るにしても、一泊のショートスティは必要なのだ。


まぁ、でも、行きたくない、というのを無理にショートスティさせることもない、私がどこにも行かなきゃいんだ、と思うことにした。
この決意を無理にしていたつもりはなかった。
だから、今月はディサービスにも行かない夫の世話に明け暮れていた。


でも、自分で意識していなかったが、昼も夜も解放感のない暮らしが続くというのは、内部からじょじょに自分をネガティブにネガティブにしていくんだな、と知った。暗い思考に呼応していくし、身体自体もしんどさがいつもと違う重さを帯びてくる。
それを知ったのは、今日、久々に夫がショートスティに出てくれて、施設に送っていった帰り、なんともいえない爽快感を覚えて、穴倉からやっと外に出られた、という気分になったからだ。その時、ディサービスとショートスティさまさま、と思った。


明日、のんびるのミーティングがあるので、夫がショートスティに行ってくれないようだったら、休まなくてはならないし、今後の取材も難しくなるから、思い切ってやめるしかないか、と心に決して、夫に、「どうしてもディやシュッチョウ(ショートスティ。夫はショートスティを出張と思っている)が嫌だったら、私が仕事をやめるからそれでもいいよ」と言ったら、「ぼく、行く」と言ったのである。本人も行けば楽しさを感じるところもあって、しんから嫌がっていたわけじゃなさそうだ。それがわかって本当にほっとした。


私もここ数日のネガティブ感覚を脱してほっとした。