深い河 3

なぜ退屈に感じたか理由がある。どこにも『赦し』の感覚が見えなかったからだ。
人類にとっても、人間個々にとっても、赦しこそもっとも重要な課題だろうと感じ続けてきた私にとって、赦しに向かい合わないこの本は、ただの風景に思えてならなかったのだ。


日本の世間は深い河で描かれていたガンジスそのままだ。
私たちは、そのガンジスで、醜く、威厳もなく生きる”人間イエス”にあったとき、どうするだろう。あるいはどうしてきただろう。
多くのリベラリスト、クリスチャンは尊大に無視していった、あるいはしていくのではないか。この本はそのことを結果的につきつけているとは思う。


善悪を越えてかつ善悪を拒絶しない存在ほどわけのわからないものはないのだから。