動物問題の私的事情=ある方への返信
動物指導センターに持ち込まれる猫たちの救済をして、57匹の猫たちを抱えておられる方からのメールへの返信です。
その方は私に協力を求められたのではなく、ただご自分の実状を書かれたに過ぎないのですが、経済的、世話の労力、ご家族や近隣との人間関係に、どんなに大変な思いをされているだろうと、辛くて痛くてならず、すぐに返信を打てませんでした。
私に経済能力、若さ、多数の猫の暮らしに最良の環境事情がふんだんにあって、「私も協力しましょう」と言ってあげられたらどんなにいいだろう、と胸がふさがれますが、下のような素っ気ない返信しか出来なかったです。(涙)
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私は自宅のそばに置いていかれる犬や猫をみかねて一緒に暮らすようになって30年近くになりますが、常に40匹の動物がおり、動物たちには何の罪のないことですが、捨て置いていく人間には言葉に尽くせぬ辛い思いがあります。
気がつくと私はもう70歳。さまざまなやりたいこと、期待されることがありましたのに、それらを無責任身勝手な人の泥足で踏みつぶされた、という無念、悲しみを抱いてきました。
もう、明日死んでもおかしくない年齢になり、今は、私が死んだあと、残った動物たちがどうなるのか・・・ということが心を占め、彼らを最悪の運命にしないことをひたすら願っています。
それにはもう一匹もあらたに受け入れることはしない、と固く決しています。
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この返信には書かなかったですが、私の暮らしの実状は、最近しばしば報道される、電気、ガスなどを止められ、餓死をされていた方々は、真実マジで明日の私、なのです。
捨てる人は気楽に捨てて行きます。
要介護4の認知症の夫を抱え、それでも毎日十数匹の犬の散歩をし、自分の必要なものを諦めて犬猫のフードにまわす暮らしに疲弊しきっている私に、「おたくの近くに置いとけば、みんな拾うわよ、って聞いたのでつれてきたの。一匹ふえるぐらいどってことないのね。生き甲斐なんでしょ」と言った人がいます。
まさかと思われるでしょうが、本当のことです。こういう人がどんなに多いか。
動物問題は、少数の人間にしかその核がわからないだけに、表面は公正で良質の正義感を持つ人と見える人でも、思わぬ低意識の姿を垣間見させる、いわば踏み絵のような役割をします。
同じ動物愛護の人でも、どこまで踏み込んでいるか、自分のものをどこまで投げ出しているか、の実体や自意識や思考傾向によって、理解の度合いの違い、温度の差が出てきます。場合によっては、その差を自覚しない動物愛護者たちこそ、全てを投げ出してしまった者の非力に落ちぶれた姿や、あがきに近い言動を見て、見下し痛めつける結果になることもあります。
私はそれらの全てを受けてきました。今も受けています。
・・・・・と言って、これは言い訳でも、自分は正しい、動物愛護はここまですべきだなど、そんな愚の骨頂を言いたいのではありません。
「命と心のある存在に生じる”問題””現実”を、正面から向き合い抱きとめると、これほど無残な結果をも背負わなければならないこともある」ということを言いたいのです。
これは動物問題に限ったことではない、とも。
もうノーガキはやめた。虚しい。