小さな犬小屋

昨年の12月27日のことである。その日は黄色いリボンの最後の日であった。
待ち合わせ場所で、突然一人で行くようにと同行者に告げられ、私は黙々と指示された場所に向かった。

この信号の表示を目指し

このGSが目的の場所

捕獲器を仕掛けるのが役目(だがかからなかった)

捕獲器をしかけた後、信号機を中心に四方の家々を回りフードを置いて行く。ここで車を降りた時、犬の声がひびいたからだ。犬を探して、声が届くだろう範囲を回ったのだ。

途中このような水たまりが。これは川でも池でもない。道路だ。雑草の茂みに沿って奥に向かって進むと家の玄関がある。震災前までは、ここを家族の人たちが行き来されただろう道。9か月も経っているのに、道路の地割れから水がまだこのようにわいているということなのだろう。こうした道を、犬を呼びながら進んだ。

ある一軒の家のガレージ。津波の岩のように泥が床にこびりついている、そこに小さな猫の骸が横たわっていた。どんなに怖かっただろう。猫の大きく開かれた口は、その時の恐怖の叫び声を今も発しているように感じた。

この交差点の一角は、国道6号線から降りると住宅が十数軒立ち並んでいる。どのお宅の敷地も泥で埋まり、崩れた家もあった。その中に、空き地があって、その空き地の真ん中に、ポツンと小さな犬小屋があった。
空き地と書いたが、おそらくかって家が建っていたところであろう。犬小屋は、そこの家の主の飼い犬の小屋だろうかと一瞬思ったが、そんなはずはあるまい。一帯が泥に覆われているということは、津波が襲い、ひいていった場所に違いない。犬小屋などもっていかれてしまっただろう。ということは、この犬小屋は、どこかよそから津波が持ってきたものだろう、と私は思い、そばによってみた。
中に、ぎっしりと泥がつまっていた。
子犬が飼われていた小屋だろうか。
小型犬の幸せな小屋だったのだろうか。

私は唇をかみしめてさまざまに思いを巡らせ、それからフードを一袋小屋に入れた。ここに誰も、犬も猫も、戻って来ないことはわかっていた。でも、小さなこの犬小屋を、どこかで小さな犬が探しているかもしれない、と思えてならなかった。

その一角を出る時、車を止め、窓を開けて、身体を乗り出し振り返り、ポツンと在る小さな犬小屋を目に焼き付けた。