生きる【1】_マリアと五匹の子どもたちの長い旅(作:丘修三 / 絵:藤田ひおこ)


マリアは、生まれてまもなく、雨の中谷川に捨てられた猫である。谷川から出てなお冷たい雨に濡れながら、光を求めて斜面を懸命に這い上った。そして、丘の上の白い家に住むみすずのお父さんに救われた。

みすずのお父さんとお母さんは、捨てられたネコやイヌを見捨てておけず、家の中に入れ、家族として大事にする人であった。
その家に迎えられ、マリアはそれはそれは幸せにつつまれて暮らした。

ところがそんなある日、みすずと庭でかくれぼをして遊んでいる時、止まっていたトラックに隠れ、そのまま遠くに連れていかれてしまったのである。

知らない町に一人ぽっちになってしまったマリア。帰りたい、あの温かな楽しい丘の上の白い家に。会いたい、優しくて愉快なお父さんとお母さんとみすずと、たくさんのイヌやネコの仲間に。


この本の物語はここから始まります。帰りたいけど帰り道のわからないマリアは、辿りついた町を彷徨い、空腹と寒さと寂しさに苦しみこらえながら、夜露をしのげる場所をさがすのです。
そうして、お母さんのような猫や、心の広い犬や、経験の豊かな鳥や、そして愛する猫に出会います。
それとともに、生きる辛さ、悪意をもったものに狙われ、恐怖におののいたりもします。

やがて愛する猫との間に、可愛い五匹の赤ちゃんが生まれます。そのことの幸せはかけがえのないものですが、マリアが幸せになるのを許さない運命が次々に襲い来るのです。
大きな悲劇が何度も起こり、深い悲しみにうちひしがれるマリア。
そんなマリアになおもつきまとう悪意的な恐ろしい存在。

マリアは小さな赤ちゃんたちの幸せな生のためにも、運命と恐ろしい存在をはねのけ、前を向いて生きたいという思いをもち続け、希望の地「丘の上の白い家」を目指そうと決意するのです。


ここでマリアは、愛するものを守り、幸せになるには、自分で考え、自分で決め、自分の足で、手で、歩むしかないのだとわかっていったのに違いありません。そう決めて動き出すそこに、大きな大きな天から吹く風につつまれている実感も感じたのではないでしょうか。それを感じることで、マリアはより確実な勇気や知恵や愛を得ていく。
私はこの本に、そうした深い示唆のようなものを感じました。

実際の現実のなかで、猫が生きる上には、人間よりはるかに過酷な運命がつきまといます。捨てられたり、処分という形で殺されたり、虐待を受けたりという残酷な運命。
その運命を背負いながら、あくまで愛らしく、清らかに生きる猫たち。
作者は、そうした運命の猫たちを、限りなく温かい愛の視線でくるみながら描いていきます。ていねいで的確な表現で。

それだけではなく、マリアと赤ちゃん猫たちに、ひとつひとつ、生きるに必要な知識や忍耐力の大事さなどを、細やかに与えていきます。たとえば、マリアは自分たちが目指す丘を知るために、鳥の経験と知恵に耳を傾け、地図の利用のしかたまでわかっていくのですが、丘に向かう間に、子猫たち一匹一匹が、素晴らしい能力を与えられていき、それがおのおのみんなを救い、目指す希望の地に近づけるのに違いありません。そうした丁寧な描き方を、長い物語の中で破綻なくゆったりとつづけていく作者の力に圧倒されます。

読者は、圧倒されるだけではなく、物語の中に起こる出来事の経緯のなかで、作者の優しさと冷静さに早や癒されていくでしょう。
そして、二章からの旅の中でも、もっと恐ろしい現実が襲ってくるだろうことをわかりながら、悲観せず、猫たちの勇気や知恵に共感しつつ物語を楽しむでしょう。

絵は藤田ひおこさんです。マリアの内面的な凛々しさ、子猫たちの愛らしさが魅惑的です。