クリスマスイブの双葉町=無能と言う才能

前夜寒波襲来を受けた福島は晴れていた。ラジオの天気予報の流れでは、警戒区域内に入るのが禁止になるくらいの悪天候になるか、と心配していたのだが、その点は奇跡のような快晴であった。

でも風冷たく空気はからからに乾き、放浪を余儀なくされている犬や猫にとって、夜間の寒さは骨をも凍らせるほどであったろう。


そう感じる辛さをしのごうと、心の中で聖夜(きよしこのよる)を歌いつづけながら無人の町を給餌と保護に尽くした。

私は埼玉県のあるキリスト教会に籍をおくクリスチャンのくせに、讃美歌といえば聖夜しか知らないのだ。夫が他界した2010年はこの歌を祈りとして毎日のように歌ったものだ。震災以後の動物の惨状を知らされるに従い、すがるように聖夜を歌っている。


犬の姿は今日も見なかった。猫とは何匹か出会い、双葉町で三匹を保護することができた。21日に続いて同行のMさんの神業とも思える有能な手腕のおかげである。私は車の運転をしながら猫の姿を見つける、のみである。でも心の中で、検問所を入り出るまで『無人のまちに、幸せが降り注ぎますように・・・メリークリマス』と祈りつつ歌っていた。(今も)


警官さんたちの職務質問は今日は三度も受けた。21日もそうだったのだが、助手席のMさんより私はいろいろな質問をされた。本籍まで訊かれた。まるで重要事件の容疑者のようではないか。・・・思うに、私の年格好の世代は『ひょっとしたら地下に潜って消えた過激派ではないか?』、と疑念をもたれるのかしらん?・・・(結構ラジカルな気質ではありますが、犬猫おばさんになってしまった以外はごく平凡な暮らしを営んで参りましたヨ)。


この日は週末だったこともあり、他の愛護団体の方々をたくさんお見かけした。団体活動に疎い私でも知っている愛護団体の名称を車に見て、まるで贔屓にしている著名人に出会ったようにドキドキしてしまった。私にとって、震災以後の関心ごとの中心は動物救済だし、それを担っているのは県でも国でもなく愛護団体や個人ボランティアの方々なのである。
特に警戒区域内への立ち入りが禁止になって以後、それをものともせず救助に入っている人々は私にはターザン以来の大スターなのである。
ある場所で、自動給餌機を見た時など、思わず拝んでしまったくらいだ。フードがいっぱい入っていた。猫たち、犬たち、タヌキたちがどれだけこれで命をつなげることができるか!

私は非力な個人なので、アニマルエイドさんに同行させていただいているのだが、MさんやLのSさんは連日区域内入りされている。ほかの人たちもそうだろう。



知人のなかには、全部を救えるのではないし、実際の救いになってないかもしれないし、きりもないし、無駄ではないか、という人もいるのだけれど・・・。

「私は殆どの人が無駄だと思うことばかりをして生きてきた気がする・・・そして、きっと、取り残された動物と同じような死を迎えるのだろう・・・これって、運命とも言えるけれど、才能ともいえないかな?(笑)無能という才能」。