21日、大熊、双葉に入る

20日、アニマルエイドさんの事務所で給餌用のフードを、ワゴンタイプの軽にきちきちに積み込み、翌21日の早朝5時前に出発。出発前から、『持っていくフードが取り残されて厳寒の冬を迎える犬猫たち、ほかの動物たちの役に立ちますように・・・、そしてみんなが生きて再び春の陽光に注がれることができますように・・・』と祈りで胸がバクバクしていた。

8時半にKさんことMさんと四倉の道の駅の駐車場で待ち合わせていた。ここの道の駅は四倉港に面しており、震災・津波原発事故までは、さぞかし美味しい魚料理を提供され賑わっていただろうと思われるが、だが取り壊しの真っ最中であった。
その取り壊しの様子を見ながらKさんことMさんを探す。
「はじめまして」
「よろしくお願いします」
Mさんはアニマルエイドさんの掲示板で、大変力強い活動をされるメンバーの皆さんから頼りがいのある方と尊敬されていることを知っていたが、初対面で誠実な責任感の強い方だとすぐにわかった。

検問の場所に着く前に、LのSさんと仲間の方とコンビニで待ち合わせをし、私のほうでの不備を補っていただく。(車に結ぶ黄色いリボンそのほか)

Mさんと私の組は、大熊、双葉、浪江をまわることに決められていた。私は道も全てに不案内であったが、Mさんは的確にどこに行けばいいか、どうすればいいかを把握されており、私は指示のまま運転をし、必要な場所で給餌をすればよかった。

ただ、前に南相馬に入った時に比して、猫の姿は多くはなかった。飢えと寂しさ、人恋しさで心身に深いダメージを受けてやっと命をつないでいるところに襲い来る寒さ、これにひとたまりもなく力尽きていったのではないかと、そう思う傍からもう平常でいられない感情がこみあげてきた。でも言葉には出さない。そこにとらわれている場合ではないのだ。今生き延びている猫、犬たちをせいいっぱい探してフードを充分に食べさせたい。かならずまた来るから、食べて頑張っていてほしい、と。祈りだ。


パトカーの職務質問を二度受けるなどもあり、限られた時間は刻々とわずかになっていく。
ある場所では徐行をして猫の気配を必死にうかがい、別のところでは無人の通りを全速力で疾走して次のポイントに移る。こうした途中に、牛と駝鳥に会った。彼らは私たちを見て、間違いなく「あ!」という表情をした。「来てくれた!」ともいう表情。私はこの日の夜、何度もその夢を見た。目覚めると泣いていた。
牛も駝鳥も、何事もなかったらもしかしたら牧場や牛舎から一歩も出ることなくもう人間の食べ物となっていたかもしれない。そう思えば、取り残され、無人の街を闊歩して生き続けていることを別の感慨にひたらなくもない。

食料になるための絶望・・・取り残され餓死を強いられる絶望・・・思うのは人間と言う存在の業である。・・・この実感は100頭を越える牛舎に繋がれたまま骸とあっていた牛たちの姿をこの目で真直に見つめた時に脳髄にしのんできた。生涯忘れることはないだろう。


この日、Mさんの手腕で猫を三匹保護することができた。今、いい里親さんと出会える幸運を、あの猫たちに注いでくださいと天に祈るのみである。

明日はクリスマス前日。私とMさんは福島に再び入る。
それにそなえ、今夜はこれから近隣の餌やりをして、休むつもりである。


生きて待ってろよ、フードをたくさん積んである。春を生きて迎えるんだ。