JCI 社団法人 下妻青年会議所 主催「討議タックル〜おしゃべりでまちづくり〜」で犬猫問題について要望を発言する

下妻青年会議所から表題のイベントのお知らせが届いた。
『(略)なかなか声をあげる機会の少ない市民の皆様が、「まちづくり」に対し気軽に参加できる場を提供し、世代、職業、地位などに関係なく同じ目線で話し合います。その声を町の政策に反映させていこうとする市民参加型の取り組みです。(略)』という内容である。
すぐに参加しようと心に決め、参加希望の返事を出した。


私はこの地に引っ越して20年間、ひっきりなしに捨て置かれる犬猫の問題に苦しんできた。
本当は、放送局のプロデューサーしていた夫が職場で脳梗塞で倒れ、社会の一線をひいた後、その夫の介助をしながら、作品をじっくりと書いていきたい、という思いで緑豊かな静かなこの町に引っ越してきたのだ。でも犬猫が置いて行かれどんどん数が増える暮らしになってしまったのだ。餌代と不妊手術代などにかかる費用は想像を超える額でしかもそれがずうっと続いていくのだ、たちまち経済のひっ迫がおこり、また世話が大変で書く時間を大幅に奪われるのだ。何より辛かったのが世間の無責任な中傷誹謗の波であった。

もともと世間知らずで無防備でお人よしに生きてきた私には、どう対処していいかわからぬ流れに流されてしまうばかりになり、やがてかなり深刻な鬱症的な状態になってしまった。人間不信、人間恐怖におちてしまったのだ。
とにかく常に死にたいという気持ちにとらわれる日々が続くようになった。
夫に認知症が出て、夫婦そろって世間から馬鹿にされ見下されていくのは地獄におとされたような寂しさであった。
何より寂しかったのは、この地で、動物の命を心から慈しむ”友人”に出会えなかったことだ。蛇を見れば棒でたたき殺し、かまきりが道にいれば踏みつぶし、車に猫がのぼったというだけで毒餌を巻く人ばかりだった。(これはその時の私の状態が、多くの人をそういう目で見るようになってしまった、ということで、実際はこういう人はごくわずかであったろうと今は思う)


自分が様変わりをしていく悲しさも深いものがあった。本当に辛い時代であった。
20年経ち、昨年夫が他界し、そして今年、あの大震災と原発事故がおこった。
これが私の根底に何かを打ち込んだ。『自分はこうしていていいのか、人間を怖がり、不信して・・・』と。


こういう時の前述のお知らせであった。
そして昨日(2011年11月12日)、八千代町公民館で会は開かれた。

市民討議会は、ドイツを中心にヨーロッパで広く実施されているという「プラーヌンクスツェレ」という方式をとったもので、5人グループで各自自由に自分の考えを小さな紙に書いて用意されていた大きな用紙に張り付けていく。そして制限時間を経て、出尽くした意見を、まとめ役の人が、幾通りかにまとめていき、書記がそれを用紙に書き込み、各グループの発表者が全員に発表していく。
最後に、会の全員が、自分がいいと思ったまとめの所にシールを張っていくのだ。
張られたシールの数の多い意見が、会の場の多くの人の賛意・共感があったとして町に提出されるのである。

私は、下の枠の通りの提案書まで用意して行ったのだが、グループの中で読み上げさせていただいた。会の方式とは違うイメージをもっていたので、こんな長々しい提案になってしまったが、主催者の方々も、グループの皆さんも前向きに受け止めて下さり、大変心強かった。

「討議タックル!〜おしゃべりまちづくり〜」JCI社団法人下妻青年会議所主催 2011年1月12日 PM 1:00〜


テーマ「八千代町を有名にするアイデア

≪犬猫など身近な動物との関係を、駆除や殺処分ではなく、共生の方向に進める取り組みをする。それに連ねて、動物との共生をテーマにした童話や児童文学の募集をし、「八千代町 動物文学賞」(仮称)を設置する。入賞作品への賞品は、八千代町特産のメロンや白菜とする≫


現在の国際社会では、「ペットは家族」という意識が当たり前になっています。日本は大変残念ながら、動物問題においては、対策、国民の意識ともに大幅に遅れていると見られています。外国人との交流の中で、「日本は自然が美しく人々の品性も高く素晴らしいと思うのだけど、ペットに対する考え方や行動は理解に苦しむことがある。そういう面からみると、本当の品性は高いとはいえないかもしれない」と厳しいことを言われることがあります。


実際日本では、いまだに安易に捨てる人が多く、捨てられたペットは何も罪がないのに殺処分をされる、という方策がとられています。愛護法第九条に、『地方公共団体は、動物の健康及び安全を保持するとともに、動物が人に迷惑を及ぼすことのないようにするため、条例で定めるところにより、動物の飼養及び保管について、動物の所有者又は占有者に対する指導その他の必要な措置を講ずることができる。』とあるのに関わらず、行政は、捨てる人、毒殺をする人、保健所に連れていく人に寛大で、ペットの命、存在の尊厳を守るという本来的な役割は果たされていないのです。


いや、そんなことはない、チラシの配布などして充分な指導をしている、と言われる方もいますが、それならなぜ、延々と年間30万匹もの犬猫が殺され続けているのでしょう。
チラシを配布しても人が変わらないのであれば、直接地域の各自治会などに出向いて、人々の顔を見て、真摯に熱意をもって話すなど、次の段階の方策をとるべきではないでしょうか。
今までのやり方では効果がなかった、それなら次の方法を考えよう・・・この姿勢こそが、動物問題に関わらず行政や地域の指導者の本来的な仕事ではないでしょうか。


そういう意味で、今回青年会議所の若い皆さんが、無作為に抽出して人を集め、自由な話し合いの場を設けられたことに、心から敬意と感謝を覚えています。


犬猫問題に戻りますが、なぜ犬猫・ペットを捨てたり、殺処分をしてはいけないか、昔から、犬猫はいらなくなったら捨て、こどもが産まれたら殺してしまうのは、日本では普通だった、と言われる方がいます。
今までは、生活の形態、社会事情などの中で、先人の知恵としてそのような方策がとられていたのだと思います。でも、時代がかわり、暮らしの形態も社会事情も変化してきています。はじめに述べましたように国際社会の中で、このままでは信頼を失う、という事態にまでなっています。それでもなお生き物の命と心を物のように無慈悲に扱っていていいものでしょうか。


それだけではありません。子供たちの教育の観点、人間として成長していくのに精神的な成熟が必要ですがその観点から考えても、決していい影響を与えないと思います。
一度ある小学校で、動物との共生の話をする機会があり、小学生の生徒たちと話し合ったのですが、子供たちは、動物が、自分と同じ心と命をもっていることを感じ取っているんですね。
その感受性を踏みにじってしまうのと、大人もともに、「動物も、悲しいこと、寂しいことがわかるんだね」と慈しむことのどちらが、子供にいい影響になるでしょう?
ただ動物を与える、そして不要になったら捨ててしまう、という飼い方をするのと、「犬は子犬の時は弟で、少し成長したらお兄さんになってくれて、もっと年がいったらおじいちゃんになってくれる。素晴らしい家族だね」と教えるのと、どちらが情操教育になるでしょう。


こうしたことに重きをおき、今の日本で、殺処分をしない取り組みをしている自治体があります。熊本市の動物指導センターです。
熊本のこの取り組みは奇跡とも称したい英断によってなされたもので、ほかの自治体はそう簡単についていけるわけではないだろうとは思いますが、ひとつの市があらゆる反対の中、ひたむきに動物の命を慈しみ、こうして実現されたというのは、社会、時代がまぎれもなく殺さない方向、共生の方向に向いている証ではないでしょうか。


この取り組みをノンフィクションとして書いた作家がおられ、「集英社WEB文芸 レンザブロウ」というサイトに連載されています。片野ゆかさんで、作品名は「ゼロ!」です。
パソコンでも携帯でも、片野ゆか、ゼロで検索すれば出てくると思います。ぜひ読んでみてください。殺処分ゼロに取り組んだセンターの職員さんたちの心の動き、志、行動力などノンフィクションとしてとてもよく書けていて面白く、取り組みの参考になるでしょう。
http://renzaburo.jp/contents_t/061-katano/001/001.html


もうひとつ、ここ数年前から、画期的な取り組みが全国的にひろまっていることがあります。
それは、野良猫を害獣として殺処分をしたり、毒殺をするのではなく、不妊手術をしてこどもを産ませないようにし、じょじょに数を減らしていく方法です。野良の数が減っていけば、畑を荒らすなども次第になくなっていきます。そして、不妊手術をした猫は、地域猫として終生その地で生きていけるのです。


地域の野良猫の問題は、野良になって飢えた姿を哀れに思う人が餌をやることもあり、それがまた問題のようになり、野良はそういう人たちの責任のように決めつけ批判することがありますが、それは間違いだと私は確信しています。
誰かが捨てて野良になった猫は、誰かが餌をやろうとやるまいと、生きようと飢え死にしようと、それは捨てたわけではない個人に責任を押し付けることではなく、その地域の問題なのです。そうではありませんか?


これまでは、それで毒殺をしたり、保健所に出したりしていた。
それに対して、「殺すのではなく、不妊手術をして今生きている猫は終生見守っていきましょう、手術をしておけば増えないから問題はおこらなくなってきます」という方法をとる考えに目覚めた人たちがいる、ということなのです。


どちらがいいか、ご家庭で子供さんに訊いてください。
多くの子供は、「殺さないほうがいい」と答えると思います。そしてほっと安心すると思います。
そのことは、心の成長によく影響するに違いありません。


以上いろいろ申し上げましたが、これらをふまえ、もし八千代町が、熊本市に続く「殺さない」英断を出され、住民への啓もう活動もより深く取り組み、地域猫の方法をとられたら、一躍有名になるのは火を見るより明らかです。本当に人の心は、真の命の尊重を求め、本来地球という星を共有しているはずの生き物との共生を、意識、無意識に関わらず求めているはずなのですから。


そして文学賞を出すことも社会に大きな影響を与えると思います。
「地球はみんなの星」、「生き物と共生する社会」、「いきもの大好き」などのテーマの子供向けの童話などを、全国に向けて募集するのです。
入賞賞品は、町特産のメロンか白菜というのはどうでしょう。