物思う雑記

超高齢者モードに入ってしまったらしく、夜の9時ごろには眠くて眠くて倒れこむように眠ってしまい、2時には目が覚めて結局そのまま朝を迎える。そんな時間のツイート。ツイートは下から上に向かって読んでくださいませ。



そもそも、動物愛護活動に限らず、人権問題でもなんでも、人間ないし生き物の”痛みや悲しみの極致”をスルーして、”ナントカ論”こそ絶対理知とばかりに言い合う傾向があるように見受けられるが、本音を吐露して言えば、そんなレベルでやり合っていたら百年経っても何も拓けないよ。今の政治界と同じ
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蛇を見るなり叩き潰す行為を否とすると、「肉を食べるくせに」「正義論」と決めつける人がいるが私はそれにも否の気持ち。人の心に生じる痛みのような感覚は、そうした”論”の土俵で決めつけられるもんじゃないと。だから私も蛇を殺す行為を止める時、「命論」を振りかざすことはない。痛いと言うだけ
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それにしても目の前にかまきりを見るといきなり足で踏みつぶし、道端の茂みにいた小さな蛇を「こいつめ、こいつめ!」と竹ぼうきで叩く人が結構多い。普段の暮らしの中で意見の違いなどには『人それぞれ』と自然に思えるが、生き物へのそうした行為を『人それぞれ』とはなかなか達観できないヨ。
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2)どこの猫だろうと、自分の家の庭に来るぐらいでキリキリするこたぁない。来てくれて「るんるん♪」ぐらいに思えないかなぁ。あなたのお孫さんが小さい時、どれだけの数の猫を我が家に置いて行ったか、私はいつも黙って我が家の家族にしてきたのよ。(ナンテね。他人の皮肉にキリキリする私もトホホ
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お隣のおばあさんが、「どこの猫かわからんね」といきなり言われた。あたりを闊歩している猫を『どこの猫かな?』と思われたのだと、「年老いたサバ猫と黒白は我が家ので、○○模様はだれだれさん宅」と微笑して答えた。後におばあさんの真意が「お宅の猫うちの庭に始終来る」という皮肉だったと。2に