遺恨あり

徳川幕府が倒れ明治に移行する狭間には、位の上だったものにも下だったものにも大変なドラマがそれぞれに起こっただろう。時代の変遷を受け入れられず自滅の道を辿った人々も多いのだろう。どんな小さな村でも旧体制を守ろうとするものと、新しい世を迎え入れようとするものたちの、憎しみの含んだ激しい対立があり、そこには排除や殺しも起こっただろう。


そうした渦中に巻き込まれた人々を描いた作品だが、表層的な印象が強く不満が残った。
だが、最初の頃の、親を惨殺した犯人の一人、小沢征悦が東京に行こうとする山道で、主人公の藤原竜也待ち伏せをしているシーンと、ラスト近くの川で主人公が号泣するシーンは胸に迫ってきて、これだけで他の不満はどうでもよくなった。



待ち伏せのシーンに漲った緊迫感と主人公の恐怖心は、こちらまで脂汗が滲みそうだった。またあの川面を見下ろして泣き崩れる影絵としての姿と悲惨極まりない泣き声は、主人公の”人生”をよく顕して哀れでならなかった。
それだけに、ラストの幸せだったこども時代を過ごした、今は荒れ果てた家で、下女の松下奈緒が待っていたシーンはほっとするものがあったが、実際はどうだったのだろう。そして主人公はあの後どのように生き、何歳でどのような死を迎えられたのだろう、と知りたくてならなかった。