不満や他者に感謝をしないということと、踏みつけてくる存在から己の尊厳を守ろうと必死にあがらうこととは違うのですよ

人の訴えの言葉には、訴える本人の身勝手な不満や傲慢や中傷好きな卑しさから出るものは確かにあるでしょうが、なかには、身勝手な不満や傲慢や中傷好きな卑しさから出るものによって己の尊厳を傷めつけられた必死の訴えもあるということを知っておきたい。

時として強者の側にいる人が、身勝手な不満や傲慢や中傷好きな卑しさから言葉を出すものに寛容で、尊厳の回復のための必死の訴えの言葉には、まるでその人こそ我を通そうとしているもののように決めつけて排他することが見えます。それは、身勝手な不満や傲慢や中傷好きな卑しさから出る言葉は心地よく、尊厳の回復のための必死の訴えの言葉は耳や腹に痛いからでしょう。
強者の側の人がそれに気付けば、社会のいじめも自殺も人殺しもたちまち少なくなっていくでしょう。