銀行で失敗する その顛末

法要が間近など気がせいている。そこで失敗を。銀行の機械で引き出しをしてそのままお金を忘れた。あわてて銀行に問い合わせた。電話に出られた女子行員さんは、私の話を聴き、調べてみますのでお待ちを、と言われ5秒も経たないで、「ありませんでした」とこちらの名前も連絡先もきかず切られた。


私はある時期、犬たち猫たちに膨大にかかる費用のために都市銀行でパート勤務をしていたが、こういう対応は考えられなかった。なくなったお金が出てこないと見えるケースであっても、詳細を聴き、名前と電話番号はきいた。今回の地方銀行の対応の大らかさには首をひねるばかり。


銀行の後に郵便局にも行ったので、状況としてはそこ(郵便局)に落としたとは考えられなかったが一応訊ねたところ、郵便局はこちらの名前と連絡先をきき、後から調べたがなかったとの説明を受けた。これが当然の対応だろう。失くしたのは私の責任だと承知しながらも、今時大らかな仕事をする銀行があるものだと。


今後一人で生き抜けるかと疑問に思うほど忘れっぽく、失敗をする。つまらないだろうことにクヨクヨギジギジもする。今日の失敗は特に落ち込んでしまい、何とか気持ちを持ち直したく今日のいいことを思い出そうとしている。あった!トイレの神様の歌を聴いたこと。大泣きしたんだ。あ、気持ちが晴れた。

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起床して夫の仏壇もどきにお線香をあげ、それからパソコンを開いてここをのぞいたら、早紀さんが私のツイートをRTしてくださっていた。早紀さんのこういうダイナミズム、じわじわと力がわいてくる感覚があって感謝!(うまく表現ができないのだが早紀さんのダイナミックさを感じた♪)


昨日、銀行で引き出したお金を取り忘れて失った件、我が家の現在の経済状況からするとダメージが強かった。それで休む前に、『きっと私より大変な人が役立ててくださったに違いない』と自分に言い聞かせて忘れることにした。でも朝起きても悄然とする気持ちは消えてなくて


それどころかわずかに残っている生活者としての自分の自信すら失っているのに気付いた。『私って駄目だなぁ、こういうの、人間の屑っていうんじゃないかな・・・』と思うほどだった。現実性の乏しい生活者として無能な自分が、どれほど家族を苦しめとうとう夫を早死にさせてしまった、と。


他者がおいていった犬や猫を他にどうするすべも知らずみんな保護してきた暮らしは、私自身の生活者として駄目な人間であることの証だ。それがわかっていてもどうすることもできなかった。飛躍するようだが、昨日の失敗(銀行でのお金の取り忘れ)はこんな自責と悔いまで呼んだ。捨てて行く人はこんな苦しみも私たちに与えた。