立松和平さんの「ブッダその人へ」

荒れはてたあるいは廃れ切った心をもてあまして本を読むとき、その本から光の矢が飛び出して射られることを望んでいる。そうすれば疲労は癒え、心の安定が得られるに違いないかのように。それは思考ではなく、まさに私自身を顕す怠惰な本能というべきものだろう。

ブッダその人へ」を読みはじめたのも光の矢が胸を射抜くことをもとめていた。
だが、読み始めてすぐに、退屈さに辟易としてしまった。結局、この作家自身のために、作家自身を慰撫する内容と力でしかないと感じたのだ。

だが、かってこの作家の盗作騒動が起こったその苦しみに触れられた行から受けるものが急変した。立松和平の言葉が、晩秋の薄の原に風が渡ると白い薄が茫々と騒ぐように、燃える光の原が茫々とこちらを包み込んでくるような感覚になったのだ。

満足して、教えを聞き、真理を見るならば、孤独は楽しい。人々に対して害心なく、生きとし生きるものに対して自制するのは、楽しい。世間に対する貪欲を去り、もろもろの欲望を超越することは楽しい。(おれがいるのだ)という慢心を制することは、じつに最上の楽しみである。

      (中村元『ゴータマ・ブッダ1』より)

九七三  他人からことばで警告されたときには、心を落ち着けて感謝せよ。ともに修行する人々に対する荒んだ心を断て。善いこと     ばを発せよ。その時にふさわしくないことばを発してはならない。人々をそしることを思ってはならぬ。