日本の出方、中国の出方

ブログに何度も書いているのだが、私の継母は、戦争中に中国に行き、そこで出会った中国人の男性と結婚をしてもうけた娘さんがいる。私の父が2003年に他界して後そのことの詳細を聞き、何人かの人の協力を得て継母の娘さんをさがしあて、2004年には中国まで行って会った。そして翌2005年には日本に招待した。http://www1.odn.ne.jp/~kaze2005/02tyuugokumokuji.html


今年の夏に、また娘さん一家を日本に招待することになっていたが、継母の側の手続きの不備で、中国政府から許可がおりなかった。継母は「かえってほっとしたわ、もういいから」と言ったが、私は高齢になった継母のために「そんなこと言わないで、もう一回申請しましょう。今度は許可がおりるように私が細心の注意をして手続きをするから」と言って準備をはじめたところだった。
そんな時の尖閣諸島での問題突発である。
『困ったなぁ、どうなるんだろう・・・』と見守っているところに、拘留していた中国人船長を釈放したというニュースで、『真の解決を望むなら、あいまいなまま船長を釈放してはよくないだろう・・・中途半端な釈放などしてこの問題長引くなぁ』と日本の出方にため息がでた。そしてその後の中国側の謝罪と賠償を要求するという出方に疑問を含んだ唖然とする気持ちが起こっている。


中国の娘さんと電話で連絡をとる際に通訳をお願いしている中国人のLさんも、「今は申請は出さない方がいいでしょう」と言われ、私もそう思うので申請の準備は休んで様子をみているところだ。


それにしても真相はいったいどうなのだろう。単なる衝突事件なら、逮捕した後、これは意図的なものではないとわかった時点で釈放すればいいはずで、でも単純な衝突事故ではなくわざと当てて逃げようとした、と日本側が冷静に認識していることなら拘留して徹底的に調査をするべきことで、何もおたおたすることではないだろう、と思えてしまうが。

これまでの経緯を報道で見ていて、日本側のあいまいなお人よしさと中国の狡さにがっかりしながらも、最初は中国のこの思いもよらない言い分に、かっての日本が中国におかした罪が、中国は今も傷深く残っていて、それでこのような態度になっているのだろうと痛みを覚えたのだったが、多分それは内在しているだろうと思いながらも、中国の体質に別の異質なものがあるのかもしれないと感じてきた。


つくづく、人間とは、恨みと勢力欲を律し難いものなのだなぁと思う。それとともに、自分個人も、自分が受けた不条理な思いと痛みを恨みにかえ、いつまでも対手をその視点でしか見れないことを思い知り悲しい気持ちにいっぱいになる。


来年の春ごろには、継母が娘さん家族と嬉しい再会が果たせるよう祈るばかりである。