渋谷区が宮下公園を封鎖、野宿者を強制排除ーOurPlanet-TV メールマガジン  2010.9.16

http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/632

つい今OurPlanet-TVのメルマガを読んで知った。メルマガには、『昨日、渋谷区は午前6時半頃、宮下公園の野宿者を強制排除し、公園の出入り口9ヶ所を全て封鎖しました。公園のテント内にいた野宿者は、大勢の警備員に囲まれ、4人以上の警備員に体を持ち上げられて、無理やりに公園内から外の歩道まで運ばれた、と話しています。』とある。

そういえば、9月17日の荒川キョウケイさんのラジオ番組で、宮台真司さんが憤りのこもったコメントを出しておられたが、このことだったのだと気づいた。


ラジオのなかで、荒川キョウケイさんが、宮台さんに、「公園は住民の憩いの場所でもありますよね、その公園をブルーシートのテントが占めるというのはどうでしょう」という意味のことを問い返しておられた。バタバタと雑事に追われていた私はこの後の会話を聞いてないのだが、宮台さんはどう答えられたのだろう。

・・・四人の警備員に身体を持ち上げられ排除された、ということが本当なら、排除した側は排除した後のその人たちの生活のことは何も考えていないと理解していいのだろうか。
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家を失った人たちや事件を起こした人たちのそこに生じている問題を語るとき、必ず、「そうなったのはその人個人の責任だ」と煩わしそうに言い切る人が結構多くいるけれど、それはそう言う人が感じるそれこそ個人の問題で、実際は、家を失った人たちの現象や事件を起こした人たちのその問題は、個人の問題で片付けてはいけないことが殆どなのだ。

一番の問題は、政治も自治体も人々も、「個人の問題だ」としれ〜っと排除して痛まないことだと思うよ。
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飛躍させて思うに、今回の菅内閣の人事を見て、「脱小沢」「小沢派の出方はどうだこうだ」などの発想だけで語るテレビの中の人たちをみていると、この人たちは国や人間に”より愚かに弱体化させよう”という呪いをかけているのだと感じてならない。

希望というものは、そういう呪いのあるところには生まれない。
・・・・・ナアンチャッテこと言ってるけど、私なども他者を薄っぺらく悪く批判することがエライかのようなその場の流れに後れをとったら相手にされなくなるとばかりに、必死でベラベラ誹謗に等しい言に終始していたことがあった。最も惨めな時代だ。

そこに希望も愛も義も生まれないってことに気づいたのは高齢孤児になってからだ。やれやれだィ。
そういうことに気づいた後も、ちょっとしたきっかけで、自分が誹謗されたことを思い出し、許しがたい思いになる。ほんとにやれやれやれだゼ。
自分の飾りをいっさい捨てて、優しい人間になりたいと思うのに隙間だらけだ。偽善者にはすぐなれるのに、優しい人間にはなかなかなれないもんだ。まったくやれやれやれやれだナ。こういうときは笑い飛ばすしかない。