ニュースから

押尾学
苦しんでいる女性を目の前に救急車を呼ぼうとせずついにその女性が亡くなった、というニュースを聞いたとき、この押尾学という人間に激しい嫌悪感を覚えた。最低な奴だと思った。
その後の裁判の経緯のなかで報道される数々の言動をみて、真実は微妙にどこか違うものがあるのかもしれないと冷静に見れるようになったが、それでも尋常でない様相になっている女性を前に、呼び出した友人たちに「自分の立場はどうなる」とか、「自分の替わりになってくれ」と言ったということなどを聞くと、どこまで最低の人間だと嫌悪感がつのる。


だけど・・・・・日本人の100人のうち80人は、まず自分の保身を考えるだろう・・・という虚無の思いにしめつけられる。そういう意味で、殆どの人間はオシオマナブなのではないか。
彼がこの期に及んでもなお無実を唱えるのは、それを知っているからかもしれない。


白鵬の50連勝
「運は努力する者にしかついてこない」
そうだ!とひどく胸の腑におちた。運のない私は本当に努力が皆無、不運で当然なのだ。

・・・でも・・・親を選べない時点での運、不運はどうなんだろう?・・・いや、これは別の次元の別の問題だ。


■我が家限定の憂鬱な辛いニュース
必死で外に出たがる猫のチャピ。いつものように洗面所の高窓を自分で開けて出てしまった。様子がおかしい状態で帰ってきたと思ったら倒れ、介護の甲斐なく死んでしまった。身体をさするとゴロゴロとのどをならしそして息が消えた。

フィラリア症のプチ、薬が効いてどんどん元気になっていた。涼しくなってきたのでプチの様態もよりどんどんよくなるだろうと楽観していたのだが、急に悪化してきた。一日に何度か目の粗いブラシで身体をゆっくりすいてやると、尻尾をゆらゆらと振って心地良さそうである。私が立ちあがると、顔をこちらに向けて、澄んだ目でじい〜〜〜と見つめる。「またあとでね」と言うと、尻尾をもっとゆらりゆらりと振る。