安心老後に出ていた質問に書いた応援コメント

安心老後というブログ(http://ansinrougo.jp/member/)に介護に関する質問のコーナーがあります。そこに書かれた質問のひとつが、自分と重なると感じるものがあり下のようなコメントを書きました。ここに転載しようと思ったのは、こうしてコメントとして書いていくなかに、自分の真意がよく出ているからです。

おしんさん、こんにちは。おしんさんの質問を拝見して、胸がはりさけそうになりました。今一番苦しまれていて、助けてあげなくていけないのはおしんさんなのだと思ったからです。
私もそうでした。私は脳梗塞脳出血とつづき、要介護4の認知症になった夫の介護に20年間打ちこんできました。
介護者は介護をするだけではすみません。おしんさんの場合はお仕事も抱えておられ、それにまつわるご苦労も抱えておられるでしょう。他にも心を煩わせることを背負っておられるかもしれない。こうした全部を背負って、病気の家族を親がこどもを受け止めるようにして受け止めて介護するのです。本当に本当に重い日々になりますよね。


介護関係の誰かに悩みを聴いてもらえばいい、相談するればいい、と誰も言いますが、なかなか自分の苦しい核点は理解してもらえません。かえって、きちんとおおらかに対応できない自分を責める材料になってしまって、より辛さが増したりします。
私は夫がいよいよ悪化してきた頃、自分の心の重さに耐えられない思いになり、最後に入院した病院に、『自分はもはや何もできないほど追いつめられているけれど、どうか助けてください、助けて、助けて』という必死の望みを託していました。
でも、夫は全てに見捨てられたような状態になって息をひきとりました。その後の今に至る私の苦しみは言葉にあらわせません。
長くなるのでここにこれ以上は書けませんが、病院も介護関係の人々も、病人の家や家族が、世間的にきちんと立っていないと見えると、微妙な手抜き、見下しを土台にした医療、介護をしてくる、ということを全霊で感じました。
そのことへの無念と、自分が彼らにそうさせてしまう甲斐性でしかなかったことの悔いと、夫への深い深い謝罪の気持ちに苦しむ毎日です。


おしんさんの事情は私とは違うと思いますが、こうした私の経験と苦悩をもとに、おしんさんに伝えたいのは、結局は、実際のところ、自分も病人も救えるのは自分しかいない、ということです。
どんな制度も、組織も、専門家も、自分にはなりえない、100%受け止めてはくれないということです。それは、自分自身が、他者の苦悩を実際にはわかりえない、ということを思えば当然のことなのです。


おしんさん、お辛いでしょうが、現在の制度と目の前の現実は、まずあなたが受け止め、そこの場で、どうしたらいいかを考え、行動していくしかありません。クレーマーでいては、現場の専門家の心証を悪くし、おしんさんが書かれているような対応をされて悪くなるばかりのこともあるでしょう。


病院も介護関係の人も、神様や天使ではない、自分と同じ人間なのだ、依存には限界があると自覚し、そこから、そうした専門家の方々に尽くしてもらうのです。


自分の苦労に追いつめられると、誰でも疑心暗鬼におちいり、まわりへの不信感でいっぱいになります。そういう時の感受性は鋭く、感じたことはたいてい真実でしょう。
でも、そこに留まっていては病人も自分も救えない。制度の不備、専門家の欠如している部分など、今見えていることは見ないようにして、でもその人たちは確かに持っておられる力がありますから、それを信じて頼り、必要な指示には従っていきましょう。それしか病人のためになる方法はないと思います。


おしんさんが感受された医療や介護の制度やあり方への問題は、別の時に、きちんと主張していくことは大事です。悲しい高齢者や介護者を少しでも安心させてあげられるように、おしんさんが感じられていることは、忘れずに、時期と場所を見極めて、公表していくことは必要だと思います。


おしんさんとお母様が安心して医療と介護を受けられますことを心から祈っています。