龍馬伝「薩長同盟ぜよ」

だんだん龍馬がテレビのなかやその辺を仕切っているヒューマニスト風赤い唇のおばさんレベルになってきたなぁ。とても残念だ。純粋で自由な魂で新生日本を願ってきた龍馬の真の成長とはどういうことだろう? なぜきちんと大きくしてあげないの?


自身の生命はおろか多くの下積みを生きている人間の生命がかかっている薩長同盟という時刻を前に、自分と間違って捕らわれた土佐浪士を放っておけないなら、他の方法があるだろう。もう龍馬は成熟していろいろな意味で深い力があるはずなのだから救出する手段はいくらでも考えられるはずだ。
昨夜の放送のあれじゃぁ、まるで同級生を大切にしなきゃいけないために行動してみせてる安っぽい青春物語じゃないか。
おかげで薩長同盟の瞬間もしらけてしまって・・・楽しみにしていたこの山場で感動を得なかった。ドーシテクレル!


龍馬ファンだから、今回こんな意地悪な感想を書くのは気がすすまずスルーしようかと思ったけど、スルーなんてそんなエラソーなファンでいたくないから書いた。
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わざわざ追記までしてくどいが、龍馬にとって、薩長同盟って何だったの? ひたむきにひたむきにやっとやっと実現させたことじゃなかったの? 途中で、「ちょっと行ってくるところがおるきに」と爽やかな顔して寄り道できることだったの? これは成果を優先するべきという意味で感じたことではない。この時期、龍馬には多くの人の命と暮らし、日本の将来を賭けた、懸命に懸命に打ち込むべきことだったのでしょう、ということだ。もしかしたら親が殺されそうになっていても気づかないくらいの重要な情熱を描くべきことだったのでは?
魂の求めることと暮らしの上での計算を同一の土俵に置いた正義・未来への夢など、結局、偽善者のレベルにつながることでしょ。
違うかな? 龍馬伝がこういう流れになるって・・・。