親のこと

私に母がいる。48年前に私の父親と結婚して母親になった人だ。彼女は戦争中に中国にひとりわたり、中国人の兵士と結婚し、三人の娘をもうけたが、その夫は新政権にとらわれ、幼い娘と引き離されて日本に帰国した人である。
そうした彼女の身の上の詳細は、父親が他界した2003年に知ったのだった。

継母は長年入退院した父の世話をよくしてくださり、経済観念のあるしっかりした現実的な人で、父も私もバカがつくぐらい非現実的なダメ人間なので、彼女には本当に本当に感謝してきた。

だが父が亡くなった後、彼女は彼女の友人を通して、父や私の非現実的な経済観念の乏しい気質をとても嫌っていて、自分がどれほど二人に苦労させられたかをことあるごとに誰彼に言っていたと知らされた。また他者から聞くまでもなく、その感じはずうっとつきまとっていた。

2004年に継母の娘さんをさがしあて、介護中だった夫を施設にショートスティをお願いし、中国まで行って、継母と娘さんたちの50数年ぶりの再会を叶える手伝いができたのだが、継母が私に親身だったのはその時だけだった。
http://www1.odn.ne.jp/~kaze2005/02tyuugokumokuji.html

それやこれやが私の苦であり、孤独感を呼び込むひとつでもあった。
夫が他界してのち、継母の言動からそういうもろもろの影が微妙に深くなり、私は心を穏やかにしておくことができなくなっていた。

今日、自分がひどい失意にいっぱいいっぱいになっていて、耐えがたい気持ちになり、ついに、中国行きのときに力になっていただき継母の人間性を知っておられる友人にグチをこぼした。長電話になり申し訳なかったのだが親身に聞いてもらい、胸のつかえと空しさがほろほろ消えていくようだった。命が助かったという思いすらした。


だが、そのすっきりした思いと別に、私は、継母が私の母親になったこの48年間、ほとんど悪口や不満を口にすることはなかったが、腹のなかで、何一つ親しみや信頼をもっていなかったことを思い起こした。感謝はしていたがそれはこちらの便宜に対してだったのだ。
残酷だったのは私のほうだったかもしれない。父と継母が結婚した当時、家に遊びにきた友人に、「母です」と紹介するのが嫌でならなかった。誰にも悪くはいわなかったが、心のうちで、実の母の記憶はなかったくせに、《戦争の影響で早世した私の本当の母は、美人で上品でおっとりした人だった》と常に思っていた。
継母こそ私の冷たさに苦しんでいたのかもしれない。

今日友人が私の愚痴を親身に聞いてくださったおかげで、継母との壁をひとつ乗り越えられるかもしれない。私も、そして継母はなお高齢になっている今、そのことは本当にありがたく幸せなことだとしみじみ思った。これからその気持ちを生かしていける。