欲望

このブログの何日か前に、「教会」という記事を書いているのだが、それにととさんという方からコメントがあって、「欲望」の言葉があり、あらためて私自身の”欲望”を思い起こした。

欲望というと、金銭欲、出世欲などつまりは”物”への強欲をさすことが多いが、私にとってのそれは、「他者に自分を理解してもらいたい」ということである。私の欲望の所在は、これに尽きるといっていい。

金銭欲でも出世欲でも人間誰しもがもっているものであるのだから、それがほどほどであるならむしろ社会でみんな互いに幸せを得られるのものだ。同じく他者に理解をしてもらいたいという欲求も、それがほどほどなら人間関係の和や充足が得られるものになる。

でも、金銭欲も出世欲も他者からの理解を求める欲望も、度が過ぎると、ただの強欲になるだけだ。強欲で得たお金や出世がその人に何をもたらせるのかは知らないが、ひたすら他者に自分をわからせたいとする強欲は、この世の荒れ野に独りおかれることになることは、私が身をもって知っている。