龍馬伝「池田屋に走れ」

タイトルの「池田屋に走れ」は、元土佐藩の勤王党員で、龍馬(福山雅治)たちと一緒に海軍の船を作っていた仲間(すごく好演だったのに名前を知らなくてすみません)が、いなくなり、龍馬が、彼が行ったとされる池田屋に向かって走るところからつけられたらしい。

龍馬がいなくなったその男を捜しに行こうとすると、他の仲間たち・・・大泉洋要潤扮する・・・は、「彼は攘夷の道にすすみたいといっていたではないか、捜す必要はない」と口々に言う。
これに対して、龍馬は、「海軍を作るのに彼の力は必要だ、攘夷の道をいくのは、彼にとって決していい運命に向かうことではない、引き戻してやらなくてはいけない」という意味のことを懸命に言い、駆けていくのだ。

そして彼が行ったらしい京につき、そこでお龍(真木よう子・・・地味で寡黙で芯がしっかりしたお龍が素敵)から、池田屋に長州の人たちが集まるらしい」と聞き、池田屋に向かって疾走するのだ。

池田屋では、あくまで攘夷をとなえ、京のまちに火をつけると話し合っていた。やはり龍馬のさがす仲間の男がいた。彼は熱い目をしてリーダーのアジテーションを聞いていた。

その時・・・・・・・・。

龍馬が到着したとき、男は虫の息で、「龍馬のいうことを聞いておくべきだったかもしれない」とつぶやいて死ぬ。この後、龍馬は、池田屋の凄惨な光景に息をのむことになる。攘夷派の若者たちはみんな惨殺されていたのだ。
有名な新撰組が世間にその力を示した事件である。

ところで、私は今回の物語の中で、躓きを感じたことが一点あった。
龍馬が、、「海軍を作るのに彼の力は必要だ、譲位の道をいくのは、彼にとって決していい運命に向かうことではない、引き戻してやらなくてはいけない」とみんなに向かって熱弁を振るう、その内容なのだ。↑の通りの意味であろうと、私はこう書いたのだが、龍馬の言葉は、ちょっと、『行動の説明のための理由作り』、というこれまでになかった匂い(違和感・ブレ)を感じたのだ。
これは再放送を観て、確かめようと思う。

※6/12記
12日の再放送を観たが、違和感・ブレはなかった。私がしっかり観ていなかったことの受け取りだった。
再放送では気をゆるめず観たので、あの龍馬の言葉が伝わってきた。