加藤一二三元名人が猫の餌やりで訴えられたこと

動物(生き物)に関わる問題というのは、他のトラブルで起きる問題とは同じ線で語れない微妙な違いがある。だから生き物を擁護する側に立つ人とそれを非難する側に立つ人は、どこまでいっても平行線を辿るというのが常である。力関係でいうと、圧倒的少数派になる動物の側に立つ人は攻撃の矢面に立つことになる。なかなか理解されにくい。
それだけに、動物を守ろうとする人の苦悩は深いはずだ。テレビ報道で見る加藤元名人は冷静に見えるが、どんなに追い詰められておられるか、とこちらの胸もひりひりする。

元名人が、あくまで餌やりを続けようとされるのは、動物愛護というイデオロギーに義をおいておられるのではなく、友を裏切れないからだ。おなかをすかせ、多くの人から敵視される猫たちが、一生懸命自分の餌を待っている、そのことを裏切れないのだ。元名人の義は、ほかの何もいらない、非力な追われる友を裏切れないのだ。それだけなのだ。


・・・とこういうと、迷惑を蒙っている人たちはどうでもいいのか! と言う人がいるだろう。
そういう人に言いたい。

猫の餌やりの問題を解決するのは簡単ですよ。あなたが許せばいいのです。
あなたは自分や家族の空腹を満たすために、あなたに出来ることをするでしょう。猫たちもそうしているに過ぎず、人間や飼い猫と違って空腹を満たすことが困難な猫を、加藤元名人は手助けしているに過ぎないのです。

糞や鳴き声がそんなに気になるなら、裁判を起こし、元名人と猫たちを排除しようとするのではなく、あなたがが周りを巻き込んで裁判を起こすエネルギーとお金を、避妊手術や貰い手探しを手伝うという形に使えばもっとも自然な解決ができるのですよ。

なぜあなたがたは、なにかというと、少数派を排除して自分たちの満足を得る、という一番安易で社会を悪くする方法をとりたがるのですか。
社会を悪くするのは糞だ、鳴き声だ、といわれますか? いいえ、糞や鳴き声はたしかに腹立たしい点はありますが、糞や鳴き声で社会や人の心を決定的に蝕まれることはないと思いますよ。手っ取り早く排除する方法を正義のごとくに駆使する人々こそ社会に陰を覆い人の心をしらずしらずに蝕んでいくのだと思います。・・・と、私が言ったところでなんの説得力はないでしょうが、私は一人になってもそういいます。そう思うからです。


少し冷静になって、自分たちが迷惑だと感じる気持ちを、捨てる人にぶつけませんか。捨てる人こそ問題なのですよ。なぜあなたがたは、捨てる人には寛大で、救おうと苦労を背負ってる人を攻撃するのですか。それは、いじめになりかねないというのだとわかりませんか。


今回の問題の起きた土地に住んでもいない私が、事態の全容を知りもせずにとやかく言うのは、失礼だと承知でこう書いているのは、私自身、身勝手な人間に捨てていかれた猫犬たちを抱え、近隣との軋轢に苦しむだけではなく家族崩壊まで追い詰められ、二度の転居を余儀なくされ、多くを失ってきたから、だいたいのことがわかるのです。

私もまた、非力で私を頼るしかなくなっている猫たちを裏切ることができなかった・・・というと、家族や近隣を裏切るのはいいのか、という人がいるでしょう。そうです、どちらかを選べと迫られたとき、もっとも弱く庇護者が必要なものをこそ裏切れなかったのです。


今からでも遅くない。加藤元名人と和解をして、避妊手術と貰い手探しと、身勝手な住民に、捨てないように言っていくことをする解決策をとりませんか。しんどくめんどうくさく思われるでしょうが、先には「こうしてよかった」と感じる日がくると思いますよ。
攻撃の渦からはなれて、ひとり自分の胸に問うてみませんか。群れて少数派の人と生き物を排除して、自分の平和を維持するか、苦労だけど根本を見直して共生の道を探るか、どちらが自分が望んでいる平和であるかを。