白いスーパーマーケット

スーパーマーケットとドラッグストアがつながった広い店内を、カートを押しながら歩いていた。店は三方の窓
ガラスがすりガラスで、そこからまるで外は雪かと思わせるような白い光がさしていた。商品の棚が低いので、天井がやたら高く感じられた。
そのなかを、夫が他界してもういないのだという思いと、父親も他界してもういないのだという思いを持ちながら商品を見て歩いているのだ。もういないとわかっていながら、カートには介護用品を入れているのだった。
そして、意識は、現在一人暮らしをしている継母のためにしなくてはいけない用事があることにとらわれているのだった。
おぼろげながら夢のなかで私は、自分の状況がもうとても大変で、継母に何もしてあげられないことの罪悪感に疲れていて、それを理解して許してもらいたいと、継母に証明書を出そうと思っているのだった。
その証明書のために、私は店内をうろついているのだった。ついに意を決して、ドラッグストア側の細長いテーブルを前に腰掛けている女性のところに近寄った。私はその女性に、夫の病状と薬の証明書を書いてもらうよう頼むつもりだったのだ。

ここで目が覚めたのだった。朝の五時半で、もう空がいかにもいい天気を知らせるような白さに輝いていた。

この夢の理由はわかっている。
継母の中国の娘さんたちが夏に日本に行きたいと申し出られているそうで、継母と継母の友人のTさんが準備中らしいのだが、その経緯のなかでの継母とTさんの言動が私に重くのしかかってくるものがあるのだ。
(継母の中国の娘さんが見つかった経緯を、ホームページに書いています。もし関心がありましたらのぞいてみてください。このURLのページの下の段の『継母の中国の娘探し』をクリックしてください。
http://www1.odn.ne.jp/~kaze2005/kazemokuji.html

私は父の死後、継母が中国に残した娘さんに会いたい一心でいたことを知り、これを知った瞬間、『継母には父も私も本当にお世話になった。恩返しをするチャンスを神がくださった』と心底から思い、病状のすすんでいた夫を施設に頼み、中国までいって継母と娘さんたちの再会を果たした。
この時の思いと懸命な行動の思いは、真実継母への感謝と、戦争を含めてむごい人生をひたむきに生きてきた継母への尊敬と慈しみの気持ちだけだった。この時の腹をたとえ神に裂かれてもこの思いしか出てこないだろう。


だが人間関係のはかなさは、しばしばどんな真実の思いも見えなくするところにあることだ。いくつかの経緯があって、私は虚しくてたまらない気持ちに蝕まれるようになったのだ。
私に甲斐性があれば継母の価値観を満たしてあげることができて、私自身もこんな苦く哀しい孤独感に蝕まれることはないのだが・・・・・まったく、非力でごめんなさい。