食事会

夫の供養の気持ちをこめて、近隣の六人の方々をお招きして食事会。
食事会を開こうと思ったのは、地域の一部の方が、私と夫の暮らしが一般的でないと思われていたようで、夫の死をきっかけに不愉快な噂を囁いておられるらしいと感じることがあってその誤解をときたかったからだが、次第にそんなことはどうでもよくなっていた。

だから今日は、特にこだわりをもたず、皆さんに美味しく食事をしていただけばいいという気持ちになっていた。
その思いのとおりに、穏やかな時間となった。皆さんに心から感謝をした。


そして夫が、この土地に来てからの全てを受け入れ、誰も怒らず恨まず死んでいったことを感じ、帰宅してしばらく泣いた。私の至らなさや心得違いをも許してくれていたに違いないと思い、そのことが泣けてならなかったのだ。


介護がどんなに大変になったとしても、ずうっと生きていてほしかった、と心の底から思い、だが疲れ切っていたことは真実で、だから病院に力になってもらいたかったと頼った思いをあらためて思い、その病院に私たちは無残に無視されていたのだ、という悲しみで痛くなった。
このことを自覚したとき、今日の食事会は嬉しかったが、私はまだまだ立ち直れない、とも思った。どのくらい時間が必要だろうか。

でも、立ち止まりはしないつもりだ。前に進んでいく。