龍馬伝 弥太郎の涙

弥太郎(香川照之)が下士であることで身に受ける不条理の数々が、これでもかこれでもかと描かれる。
今回は、水田の水を、庄屋が一人占めしてほかの田には水がいかないようにしてしまう。弥太郎の父(蟹江敬三)が談判に行くが、庄屋の用心棒のような男たちに滅多打ちにされる。

ちょうど通りかかった龍馬(福山雅治)が仮死状態に近い弥太郎の父を助け、その後も何かと気遣いをする。
江戸にいた弥太郎は龍馬から父の様子を手紙で知らされ、普通は30日間かかる江戸から土佐までの道を朝も昼も夜も駆け続けて16日目で帰ってくる。この時の弥太郎の疾走する姿は笑うところではないのに、笑ってしまった。人間の悲しみであれ怒りであれ、それをストレートにあらわすと、激しければ激しいほど、ひたむきであればあるほど第三者から見るとおかしくなる、その演出は成功して忘れられない場面になった。香川照之であればこその成功。ほんとにおかしくてならなかった。でもいつの間にか涙が滲んでいたが。

本筋に戻るが、こうやって何度も身分制度ゆえの人間の悲しみ、悔しさを描いてくる龍馬伝を観ていて思うのは、龍馬が、国をかえたい、人間を身分制度から解放して個人個人が自分らしく生きる世の中にしたい、という願いに命をかけた根底が、胸にドシッと伝わってくることだ。

そして、そうした時代のはざ間に必ず現れる自分の思考を狂信的に押しつけようとする人間(大森南朋演ずる武市半平太)とその人間をあがめる群れ(佐藤健の以蔵や宮迫演じる平井たち)の描き方も面白い。当人は自分の変化に気づかず、じわじわと変わっていくのが鋭い演出だと思った。


こんな余談を書いて恐縮ですが、私はこどもの頃、祖母の趣味で日本舞踊を六年間習わされ、村のイベントなどで発表会をかねて踊らされたもんだが、私の十八番が「月形半平太」すなわち武市半平太だった。芸者役を友達のえっちゃんが演じ、花道で、「つきさま、あめが」と言うと、私が、「はるさめじゃぁ、ぬれていこう」と答えるのである。この場面は村のおじいさん、おばあさん、おじさん、おばさんたちから盛大な拍手をもらったものだ。・・・これ、前にもどこかで書いた気がする・・・。