2002年、『IO 小さな声』に、前年のテロとそれに続く報復戦争について投稿したものを振り返る

テロと報復戦争のあの頃、懸命に思い、祈った、その書き込みです。「まれびと」さんのブログを読んでいるうちに、自然に自分があの頃、必死な思いで何通も投稿したのを思い出し、ここに転載をしておかねばという気持ちになった。(自分自身のために)

2002年2月12日の投稿

2001年9月に起こったテロ、その一ヵ月後にはじまった報復戦争・・・あれから四ヶ月経っただけなのですね。その四ヶ月の間に、ブッシュ氏の拳は正義の鉄拳と絶対的に位置付けられ、そのおかげでアフガンに平和が訪れたという認識が、海辺をひたす波のように世界をひたしていき、今、平和の祭典冬のオリンピックでわきたっています。そしてニュースの片隅に、アメリカの無人偵察機が、ビンラディン氏らしき人を攻撃、本人かどうかを調査中とあります。

 ・・・私はこの四ヶ月、百年分生きたような気がします。それは、アメリカの徹底的なタリバン攻撃が、自分と関係のないところにおいて見ていることが出来なかったからです。こんなことを書くと、自分は安全な日本にいて、何を言うのだ、命の危機にさらされ、家族を殺され、寒さや飢えに苦しむ人々への冒涜だ、と苦々しく思われる方もいらっしゃるでしょう。でもどんなに顰蹙をかっても、私はこの四ヶ月の間、ずうっと自分もまた攻撃を受けてるような苦しみを感じた、と言たい、書きたい思いがあります。

 それは、私は自分を、「テロリストだ」と自覚し、常に孤立感に苦しんでいるからです。

 私が、今の日本の社会の中で”異端者”になったのは、ある時期から、ある経緯を経て、私の家に、人々が当然のように犬や猫を捨てにくるようになってからでした。その経緯を事細かにここで述べることは出来ませんが、ベースにあるのは、私は元来平凡な常識感覚で生きていた人間ですが、ただ人より、動物たちの心を感じ、彼らと交感ができ、そして彼らの心を裏切ることができなかったということです。

「あの家に置いておけば絶対飼ってくれる。奥さんは動物好きなのよ」
 この何の悪気のない人々の意識が、私を壊れそうになるほど追い詰めていったのです。うちでは生ませないように避妊、去勢の手術をしていましたが、人々が次々置いていくのです。家は酷い状態になり、家族を苦しめ、近隣のお宅に迷惑をかけるのです。そのことがなお私を追い詰める。苦しい実状を訴えると、「それならよそに捨てるか、行政で処分してもらったら」とこともなげに言う人がいる。なぜ、心を開ききって自分を信頼している、何の罪もない存在のものを、こんなに愛情もって守ろうとしている私が、捨てなければならないのだ? 殺さなくてはならないのだ? 無神経で、無責任な人たちは、ぽんと私に小さな命を押し付け、いやならどうぞ殺して、とは!・・・・・本当に壊れそうでした。子供は学校でいじの対象にもなっていました。 でも、そのことも、私の”ヘンジンぶり”が悪い、と決め付ける人もいました。誰も、根元を考えようとはしませんでした。

 そして私は、”テロリスト”になったのです。

 行政や、自治会は、私の、「捨てないように、飼い主に避妊などの手術をするよう指導を」という訴えには耳もかさず、迷惑をかけるなとただ批判だけしてこられるようになった頃からです。私は、行政や自治会に痛烈な攻撃をしました。勿論銃ではなく文面ででしたが、銃以上の威力があったでしょう。自分の尊厳を命がけで守る命がけの攻撃でしたから。

 ・・・・・・長い孤独な日々でした。心のなかは生き物たちや、困ってる人々、弱い立場にいる人々への善意に溢れていたのに、私はみんなから恐れられ、忌み嫌われました。

 ・・・今回の報復戦争と、絶対的なアメリカの正義の姿勢は、そうした自分の日々をあらためて思い起こさせ、爆撃をこの身に受けているような痛みに苛まされました。

 人や世間と明らかに違う小数の価値観をもって生きる者は、それが少なからず奇異に見えたり、迷惑を及ぼしかねないものであると、本当に生きにくい社会です。差別、見下しのような感情がおこります。別の問題では、自分が人を排他する側になったりします。私は自分が卑しめられる経験をして、自分もまたちょっとした違いで、他者を卑しめる側に立つこともあることを、心から思い知りました。そのことがなお自分を孤独にしていきました。

 この四ヶ月、それらの全部を考えてきました。そして、今後の生き方を考え続けました。

 平和を、愛を、優しさを・・・などと”言う”のは本当に簡単だ。お前は本当にそう生きれるのか。自分の受けた傷を旗印に、人や社会を責めつづけてきた自分であることを忘れるな。と、自分に問い続けてきました。・・・この文を書いている、たった今もです。

 その自問に勇気をもって答えたい。

『同じことを繰り返す弱さと愚かさを、自分で自覚している。そのことを忘れない。・・・それを希望として、次のような願いと祈りをもって日々を大切に生きたい。・・・いろいろな思いや考えや信仰が、上や下の関係のなかではなく認め合う世界になりますように。そして、この地球が、全ての生き物たちの生きるところであることを、全ての人が思い出しますように・・・』

 最後に、アフガンのこどもたちが、二度と爆撃や銃の音を聞かない世界になりますように、そして素晴らしい未来を自分たちで築ける時代になりますように、心から、本当に心から祈っています。

2001/10/191投稿

私の父は91歳になりました。病床にいます。今日、父の傍らで国会中継を観ていました。眠っているとばかり思っていた父が、ぽつりともらしたのです。
「また戦争やるらしいのぉ。戦争なんて、ありゃぁ、ひどいもんだった。人間のやることじゃないよ・・・・・。戦争が人生を変えた・・・」

私は胸をつかれて何も答えられませんでした。

父は戦地の惨状を思い出したのか、私を生んだ後病み、医者にも診てもらえぬまま帰らぬ人となった私の実母のことを悼んでの言葉だったのか、あるいは、戦地から生還して後の苦渋に満ちた人生を嘆いたのか。

そうです、父の戦地から戻って後の生は苦悩そのものでした。 父は身体に負傷はしていませんでしたが、精神に深い傷を負い、私たち家族を受容する人格が欠落するばかりになっていたのです。

父は些細なことに激し、幼児の私にも抑圧をしてきました。私と父の長く続いた葛藤には常に戦争の影があったといっていいと思います。

(戦争は一度おこしたら、個人にとったら、永遠に続くものだ)とずうっと感じてきました。

20世紀が終わるとき、世界中に、「戦争と自然破壊の世紀は終わった。21世紀は、真の平和と自然との共生の時代だ」という言葉が溢れました。

私自身もそれを夢見て、希望に満ちました。そして、自分の中から、悲しみや怒りや恨みや蔑みの思いなどを消し去る事を願い祈り、そうすることで、自分の真の尊厳を取り戻して今後は心豊かな愛を内在した人生にするのだと、確信のような思いも持ちました。 本当にそれらの祈りと思いは真摯なものでした。

国を世界を動かす人たち、どうか、私たちのこの懸命な学びに目をとめてください。

何の権力をもたないものたちが、深い傷を受けたからこそ目覚めていくこの真実に目をとめて下さい。

21世紀の英知が、戦争をしない道を探り、真の義の道に辿り着くことを心から祈っています。

アフガニスタンのこどもへの祈りとともに。

2001年10月6日の投稿

今日の祈り (日記に書いたものなのですが)
世界中が炭素菌の恐怖にパニックに陥りそうになっている。
アフガンはもはや民間の施設も家々も廃墟となろうとしている。
ここから何が見えますか?
テロの恐ろしさですか?
戦争の恐ろしさですか?


私は、長い間、抑圧されてきたものの烈しい哀しみが見える。
自分が生まれて育って、そこで自分が受け入れはぐくんできた全てを正当に認められず、無視や冷笑や、尊大な理解や、投げ与えられる同情や、歪曲された決め付けなどを耐えつづけてきたもののズタズタに引きちぎられ泣き叫ぶ魂が見える。
私に力があったら、彼らが真の希望を取り戻せるような、そんな支えになりたい。 でも私は何もできない。

でもでも私は、ガスマスクは買わない。抗生物質も買わない。
もしもそれらが必要な事態になったら黙って受ける。
そのことは約束しよう。

だけど、ひとつだけ言い残しておきたいことがある。
あなたがたの絶望と悲しみを、心から理解できる、大国の中にいても力や繁栄に属しない魂を持ちえている人々がいること。
私のこの世の絶望も悲しみも、あなたがたのそれに似ている。
だからこそわかる。あなたがたに必要な、真の希望は、本当はあるのだ、ということが。
私はそれを信じて生きたい。

これが、今日の私の心からの祈り。

<これは投稿するつもりで書いたが、投稿しそびれてしまったもの>

生命あるもので、平和を望まないものなどいないと思います。心や感情がないと人間から勝手に決め付けられている一匹の虫だって、攻撃されれば懸命にそれから逃げようとします。あれは防衛本能に過ぎないと主張する人が多いようですが、私は、(虫でさえ、平和を望んでいる!)と感じてなりません。

まして豊かな感情や思いに溢れる心を持つ私たち人間は、どんな時も平和への望みと祈りを支えに生活をしています。
失意や怒りや憎しみが自分を支配してきそうになることがあっても、結局は、平和や愛や真の義への望みと祈りを取り戻し立ち直っていきます。それが、人間なんですよね?

なのになぜ、人間は最悪な不幸を営々と生んでいくのでしょうか。
つい最近では、あのテロとそれに続く報復戦争。
そして、たった今起こっているパレスチナの人々に襲っている殺戮。
祈りは届かず、平和を望む行動は虚しいばかりです。

・・・・・などという言葉をとくとくと出すこと自体が、もしかしたら、思い上がりなのかも知れない。
一見平和に見える私たちのこの国の、穏やかそうに見える偽善欺瞞の赤い唇こそ、真の平和を遠ざけているものなのだということを、よくよく知っておかなくてはならない、
その知ることこそが、必要なのかも知れない。

そう、自分の赤い唇を・・・。

それでもなお、いえ、その上でなお、望み、祈りたい。
平和を。愛を。真の義を。

そして、行動に出る勇気を持ちたい。
何が本当に必要な行動なのか、何をどうしたらいいのかは、正直なところわからないけれども・・・・・。

2001年9月28日の投稿

飢えて怯えたこどもをたすけて! 戦火に突き落とさないで!

テロは本当に許せない! でも、そうなる前に大国や強国は、何かしなくてはいけなかったのではないでしょうか?!
強い側のおごりや冷酷が、大勢と異なった価値観をもって生きる国や人々の尊厳を奪い追い詰めていったのではありませんか?異なった価値観は、本当は異なってなどいないのです。
その人にとったら、その国にとったら、それは当り前のことでしょう?

私の価値観は、私にとったら当り前のことなんです。
それを、おかしい、我々と同じになれと抑圧されたら、私も怒ります。

強い側が、自分たちの思考、思想、価値観を軸に全てをはかる時代は、もう、終わらせましょう! お願いです。
戦争をしない道を探って下さい。
21世紀の英知よ。

マオ アキラ
2001/9/28

※転載に際して読み直し、大きな誤字が二箇所ほどありましたので、それは訂正しました。