苦痛

少なくとも、処世の範疇で己の苦痛を易々とあらわせば、色をかえた一層の苦痛が立ち顕れることを知っておかなくてはならない。

そういう場合の良薬は沈黙である。沈黙もまた処世でしかないが。


余談だが、スポーツとスポーツ選手が好きなのは、勝ちも負けも衆人のそれぞれの視線の前にさらす宿命を受け入れているからだ。彼らのようにはなかなか生きられない。いいとこばかり、あるいはよく見えるように振舞おうとしている。苦痛が角立てて迫ってくるのは当然だ。

といって、今の私に迫っている苦痛はそういうこととは違うけれども。


それはともかくとして、しばらく沈黙に逃げ込もう。