香典

夫の死から今日で一ヶ月です。

私たちの地域では、誰かが亡くなると、一世帯1000円の香典を各班長が集めます。これは香典返しをしない取り決めとなっています。
私は夫が他界した後、班長さんに、「葬儀は地域でせず、古河駅近くの葬儀場で家族だけで行いますから、地域のとりきめに合わせませんがすみません」と知らせました。これは香典をいただかない、という意志を告げたものでもありました。

同じことをたびたび繰り返してしまいますが、この地に来てからの二十年間は、犬猫の捨て場にされた困惑と失意と悲しみの連続であり、また夫が一回目の脳梗塞を起こして後の移転でしたから、ここに来た時既に夫は他者からおや?と思われる言動をすることがあり、そのことで蔑視を含んだ対応をされることがありました。夫はそのことで塞ぐこともあり、もともと社交的でなく世事にもうとかったですから、傍にいて痛々しく思うことがありました。その上、そうした夫をフォローしてしかるべきの私自身も世間の社会性に合わせようとしませんでしたから、私たちは常に浮いた存在として見られるようになっていきました。
そこに生じるもろもろには苦痛や怒りもあり、特に打ち続く犬猫を捨てにこられることで私たちは私たちなりの暮らしを通していくしかなく、そのことで苦痛は深かったのでした。
夫は疑念や悪口を口にしたことはなく、いかにもひょうひょうと生きたように見える人でしたが、心に痛みを受けていたことはわかっていました。


夫が死に、葬儀という段になった時、私は地元の人から好奇の目で夫を見送らせたくない、という意志をもったのです。
夫も私も日本社会の一般的な家庭状況で育ち、それぞれの教育を受け、夫は放送局のプロヂューサーという仕事を全うし、私は幼稚園教諭の仕事をせいいっぱい勤めてきたに過ぎません。他者から犬や猫を次々に捨てにこられるようになった、ということ以外、自分たちに与えられた全く平凡な過程をまじめに歩んできただけでした。何を地域の人々から中傷めいた好奇の目で見られる事があったでしょう。それらはその人たちの人間としての質を表しているだけのことではありませんか。

もし私たちに多くの犬や猫と暮らしそのために経済の苦境を招いた、という以外の特別な何かがあったとしても(残念ながら何らかのスリリングもサスペンスもないですが)、地域の多くの人が私たちに及ぼした非礼は、それはその人たちの非常識と不義のなすことでしょう。
こうした私の『プライド』は、地域で葬式を出したくない、意志をあらわにさせたのです。私のそんなプライドなど貧しく悲しいだけのものだと百も承知で、何かに対して決して許せない意志が固くあり、それに従いたかったのです。もうひとつ、夫や私の親戚、友人のことを考えて、古河駅周辺の方が都合がいいという判断もありましたが。


班長さんも地区の区長さんも純粋な善意の方でしたから、私の真意を疑うことなく、私たちを地区の一員として香典を集めて下さいました。

私はそのいただいた香典をそのままにしておりました。開いて明確に受け取ることが痛みになってくるのでした。
でも夫の死から一ヶ月を迎え、昨夜地域の皆さんの香典の包みを開きました。一世帯1000円と取り決められていますから、隣接した数軒の皆さん以外の方の香典袋には、それぞれ1000円札がおさまっていました。

なかに、百円硬貨が五個、広告紙にかたく丁寧に包まれたものがありました。
私は息をのむような気持ちでしばしその五個の百円硬貨を両掌で握り締めていました。
「付き合いのない夫のために、こうして大切な五百円を香典にしてくださったのだ」という思いで、涙と感謝の思いが身体中に満ち溢れました。
ありがとうございました。