私は野良猫にエサをやっていますよ

たった今、みのもんたさんの番組で、野良猫にエサをやっていた70歳の男性が、エサやりを注意されて逆恨みし、隣人の女性を牛刀で刺し殺した事件の判決があった、というニュースを報じていた。番組によると、犯人の男性は、隣人が常に自分の悪口を言っているとか、植木を支える棒をもっていると「それで猫を殴るのか」と怒るなど、被害妄想をつのらせついに殺してしまった、ということである。


私も野良猫にエサをやっており、時々、「あの人がうちの猫を殴って死に至らしたに違いない」と思うことがありますよ。そしてやはり時々、「あの人たち、今、私の悪口を言っている・・・」と感じることもあります。
私は私なりに近隣の方々とお付き合いをしていますが、実際は孤立していることをわかっており、そのストレスやプレッシャーで、自分が被害妄想の傾向に流れているな、と思うこともあります。


他の国ではどうか知りませんが、日本の社会というものは、それが成り行きになったことであれ、当事者の責任ばかりでない事情があったことにせよ、異質な存在になった人に対して、本当に心が狭い面がありますよ。私は多くの猫犬とともに暮らす生活になって、フツーに暮らしていれば絶対にわからなかっただろう日本と日本人の”哀しい薄氷の部分”を知り尽くしました。・・・とこのような表現をすること自体を、異質に生きる私を世間は許さないでしょう。


”哀しい薄氷の部分”というのはどういうことかと言いますと、今回の事件でいえば、野良猫にエサをやる男性の心情すら悪にしてしまう日本人のジョーシキ感覚です。猫が庭にフンをする、花を荒らす、臭いというのは確かに困りものですが、その利害感覚が、男性の全否定に流れていくのは、野良猫にエサをやる行為よりも、社会を貧しくするもののように私は思います。

なぜこの時、『自分は野良猫にエサをやるのはいやだけど、かわいそうに思ってエサをやる○○さんの気持ちは尊重したい。でもだからって野良猫が増えると庭を荒らされたりなど困ることも多いからなんとかしたいよね』という思考を保てなかったのでしょう。このわずかな視野の広さがあれば、男性の方にも、『エサのやり方を考えよう。避妊手術をして数が増えないようにしよう』などの理性が生まれたかもしれないのです。

実際こうやって野良猫の問題の解決をしているところや人は多くあるようですよ。地域の中で、迷惑だ、あいつは悪い、という感情に流されるだけではない、たった一人の、「問題の根本はなんだろう?」と冷静な人間性をそなえた人がいれば、必ず双方に、そして何の罪もない生き物にもいい解決策が見えたはずなのです。


相手が奇異に感じる生き方をして迷惑を蒙ってるからといって、心情や価値観に心を開かず、近所中を味方にして壁になったまま責め、排除をしようとすれば、たいていの人は被害妄想に陥ったり岩のような心になってしまうのは当然なのです。今回の事件は、”たった一人の人もいなかったのか”と、本当に本当に残念でなりません。


この私の主張は、30年間に及ぶ苦しみのなかで、”近隣に”、”捨てられる猫や犬に”、”家族に”、”自分に”どうしたらいいか、を模索し、ある時は失意に泣き、ある時は行政や人の身勝手に怒り、ある時はひたすら忍従し、ある時は悲しみにおち・・・などなど家族と自分を犠牲にしてきた魂から出るものです。


今回のこの裁判を通して、動物問題は、殺した犯人を責めたりするだけや、動物が好きや嫌いのレベルですむことでないことに気づいてもらいたいと切に思います。

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日本の社会は、ペットを捨ててもいい、とする土壌を許しすぎです。これまで何度も言ってきましたが、心ある動物行政や愛護団体は、各地域、特に地方!に赴き、直接熱意ある言葉で、ペットを飼う場合の責任とはどういうことかを、地道にしっかりと指導をしてもらいたいです。チラシやポスターだけではだめです。飲酒運転と同じで書いたものを配るだけではだめです。直接動物の問題は社会的なレベルのことなのだと、心を開いてもらわなければなんにもなりません。政治家に念仏です。

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言わずもがなですが、これを一言加えておかなくては、「あなたは猫にエサやっていい人になってるつもりか」などうざいモンクを言ってくる人がいるので追加しておきます。

私はエサをやるとともに、避妊手術をしています。野良猫にとってこんなかわいそうなことはありませんが、現代で人と猫や犬との共生はこれなくしてはない、と自分の経験のなかで確信するからです。
これもバカらしい一言ですが、私が多くを犠牲にしてそうするのは、命がどうたらというイデオロギーや倫理観に重きをおくからではありません。これを言った方が通じるという時に、そういう体をとることがありますが、さびしいよ、おなかすいたよ、ママーと懸命な悲しみの声に突き動かされるだけです。
おそらく、この事件の犯人の男性も同じエサやりであったでしょう。本当に、亡くなった方、犯人ともに、うなだれるばかりです。