ガソリンスタンドにて

ガソリンを入れるときは近くにできたセルフのスタンドに行くと決めているのだが、オイルの交換時期が大分過ぎているので、それをやってもらえる隣市の別のスタンドに行った。
事務所でコーヒーをいただきながら待っていると、そこの奥さんが「ここのところ寒いですねぇ」と話し掛けてこられた。私がぼんやりと元気がない様子なのを心配して声をかけてくださった感じだった。私自身、どこに行っても、夫ときた時のことを思い出し沈んでしまうのだ。特にここ数ヶ月はショートスティもディサービスも受けていなかったのでどこに行くときも一緒だったのだ。だからどこに行っても夫のことを思い出す。

このガソリンスタンドもそうであった。セルフに行かない時はここに来たし、見かけに反して夫は車やバイクが好きだったので、ガソリンスタンドではきょろきょろと関心を示すことが多く、ガソリンの量を真剣にみつめていたりした。
奥さんはそうした夫のことを覚えておられていたようで、「寒いと動くのがいやになりますね。今日はご主人は一緒じゃないんですか」と明るく言われた。
「他界したんですよ」
「えー! そうだったんですかぁ・・・・・」とその後は私のテンションに合わせるようにしんみりとした話しぶりで慰めてくださった。ご姉妹の連れ合いの方が最近認知症になられたことや、介護の様子などを話され、私は頷きながら聞いていた。そうした話の流れの中で、夫の最期にかかった病院の名前を出した。
すると、「ああ、あの病院はいろいろ悪い噂がありますね〜、亡くなることが多いとか・・・」といわれたのだ。
「えー!・・・・・・」と私は絶句し、その後手が震えてコーヒーのカップももてなくなった。噂というものは、まず九割いいかげんなものだ。信じて噂に沿った対応をすることの方が誤ってる。と日頃信念になっているが、衝撃で目の前が真っ白になる思いであった。この衝撃は『やっぱり・・・』というものに寄る。あらためて病状の改善を求めて転院をしなかった自分の怠惰を悔やみ悔やみ、悔やみが槍になって自分の臓腑を突き刺してくる苦痛を覚えた。

帰宅して気落ちがひどく、朝食べたものをみんな吐いてしまった。吐きながら号泣した。助けてとわめきたかった。わけのわからない不安感に襲われた。
でもこうしてここに書いて自分を助けようとしている。私は頑張らねばならないのだ。猫の尾っぽが風邪をひいたようで鼻をジュクジュクさせて苦しそうだ。なおしてやらなくてはいけないし、夫と散歩中に出会った痩せて木の葉のようになっていた猫のチャチャチャにごはんをやらなくていけない。チャチャチャは避妊手術を終えたばかりで、術後のケアも気遣ってやらなくてはいけない。へたばってはいられないのだ。