「朝青龍の引退」と「理事選その後」に思う

朝青龍の引退に
このような形で朝青龍を引退に追い込んだことを残念に感じた。

私たちは相撲界の内部を全く知らず、何か起きた時に報道で出たことを見るだけだが、でも、相撲界で起きたことの中には、個人の責任だけでない、協会の体質がその問題に大きく影響しているのではないかと想像したくなるものがある。

今回の朝青龍の暴行事件にしても、結局、隠蔽とうやむやにしてしまおうという意図を感じてならなかったし、そうしたどろどろの渦の中での引退表明は、相撲ファンの一人として、「なんでよ! それでいいわけ?!」と不信感がわいてならない。

今回の暴行事件は、報道にある事柄が本当ならという前提で考えるに、目撃者もいて怪我をした本人が警察に診断書も出しているというし、協会が調べて真実を把握するのはそう困難なことではないはずでしょう?
その上で、適正な処罰を公正にすればいいことでしょう。そこで今回の横綱の事件は許せることではない、引退させるしかない、と決めたことなら、残念だが仕方がない、と受け止めるしかないが、どうもなにか釈然としないものを感じてならない。

この釈然としない思いは、今回のことだけではなく、あの若い力士がリンチ死のような死に方をした事件や、八百長問題事件にも感じた。
ああした事件に対して、協会がとるべき姿勢は、隠蔽や正当化にやっきになるのではなく、当事者が起こしたことは許されないことだが、自分たちが営々と築いてきた土台にも罪があることだった、と認める強さがあってこそ、信義を重んじる相撲の世界といえるのではないかと。
こうした真の信義をもつ土台であれば、朝青龍もおのずから敬意を抱き、横綱の品格、というものを抵抗なく受け入れ、精進されていったのではないかと思うのだ。
何かあれば隠蔽とうやむやに走り、他者には品格をもてといっていれば、感性の鋭い才能ある若者こそバカにしたくなるものだろう。

朝青龍は、サッカー事件など、しかもあれはばれてバッシングされると鬱病になったなどと逃げ、まったく本当の鬱病に苦しんでいる人にも失礼極まる浅慮ヤロウだとあきれかえったが、後に、協会の軟弱いいかげんなずるい体質が見えてくると、どろぼうが他者に人のものを盗むな、と説教しているような虚しさを感じるようになったもんだ。


・・・・・だから朝青龍のやった数々のことは正当だ、と言ってるわけではない。彼もまた今回の成り行きを招いたレベルの横綱でしかなかった、のであろうと思う。

余談ですが、人間の生きる道には、いくつもの思わぬ落とし穴があり、そこに落ちたときに、自分を試されるのだとつくづく思うのです。組織でも個人でも。


また何を言いたいかわからぬ要領の悪い文を書いたが、朝青龍さんはナンダカンダ言っても天から選ばれた人の一人であることは間違いないでしょう。元気で頑張ってください。

■「理事選その後」に思う
貴乃花親方の理事当選には感動した。新聞などには「造反」という字が躍っていたが、造反ではなく勇気だなぁと私は思った。

でも、夕べだったかのテレビで、貴乃花親方に票を入れたと名乗り出た安治川親方の行為を、お金のためなどとまことしやかに言う人がいると報じているのを知り、相撲界の腐敗病はこうまで重いのかと暗澹たる気持ちになった。朝青龍でなくても甘くみたくなるよね。朝青龍を、「日本や相撲協会を甘くみている」と怒る人は、その前に、人間の純粋な心でおこした行動を、利益を求めてやったという人間に渇を入れた方がいいと思うよ。・・・だけど、どこの世界も、誰かの真摯な生き方や、人のよい言動や、純粋な行為を、まるで腹黒い計算があってやってるように巧妙に言いふらす場合は多いね。その操作に易々と乗せられる人がどれほど多いか。いや、わかって乗ってることもあるのかもしれない。
相撲界に限らず、これほど世の中は腐敗者の手の中にある、と言っていいかもしれない。

貴乃花親方の行為は、そうした腐敗に矢を投じる勇気だが、でも、このことを親方の肩にどんどん背負わせてはいけない。その行為は、あの家は猫や犬が好きなんだからと、そこに隠れて捨てに来る人と同じだ。
貴乃花親方に賛意をもつ人は、自分も責めやバッシングを受けるかもしれないことを覚悟して、自己責任で言動をおこすことだ。