浅川マキさんの死

眠らないまま2日の新聞を読んでいると、文化欄に浅川マキさんの記事があった。浅川マキさん、亡くなったんですね。
・・・・・・・・彼女が歌っていた歌を口ずさんだ。そうしていると、自分が夫の死を、ただ自分が悪かった、病院がどうだったというところでだけで考えていることに気づいた。

だがあまりにかわいそうだったあの最後の姿。私が病院から電話を受けて駆けつけるまでに数分は経っていた。それなのに医師もいず看護士もいずたった独りでまだ温かい身体を横たえていた。
私が隣のナース室に、「どうしたのですかーっ」と叫ぶと、まるで患者にコールボタンを押された時に応えるように、「ハーイ、ちょっと待ってくださーい」と答えたのだ。その後まだ間をおいてやっと医師があらわれ、脈などをみて、「ご臨終です」と言ったのだった。


入院の前、延命処置について医師から確認を受けた。私は意識がなく植物状態になってなお機械で呼吸をさせるという延命処置はいらない、と言った。だが夫は、ついさっきまで息も意識もあり、看護士の言葉に普通に反応していたのだ。(看護士が言った)その夫が急に苦しい状況に襲われた(私は痰がつまったと感じている)のを、病院に入院していながら誰にも気づいてもらえず息絶えたのだ。延命処置云々のレベルの話ではない。

私はこの事実が悔しいのだ。夫の命、懸命に生きてきた人生全てを泥靴で踏み潰されたような悔しさで、身体中、五臓六腑が張り裂けそうだ。そしてここで、私が捨てにこられ続けた動物の問題を今のようにならない対応ができていれば、これほどの見下しを受けることにはならなかっただろうという耐えがたい悔恨に打ちのめされるのだ。

いったいどうやったらこの悔恨をのりこえられるのか。