ある再会

昨日の夕方、病院の玄関で靴をスリッパにはきかえているところに、「Sさんではありませんか」と40代と見える女性から声をかけられた。とっさに思い出せず「えーと・・・」という状態になっていると、「Iです。父が議員の・・・」と言われて思い出した!
選挙のたびにトップ当選を果たされているI氏の娘さんで、何年か前にこの方が小学校の役員をされていて、私が講演を依頼されたことがあった。


私は、12歳で自殺した岡真史くんの詩集の詩を読みながら、いじめの世相のなかで生きるこどもの心について私なりの思いを話したのだが、あまり受け入れられなかった。その場で、私のあとに壇上に立った当時の町長は、私の話の内容を嘲笑するように、「こどもの未来に一番大事なのはいい学校に進学することだ、そのために私は尽力している・・・というようなことを言われたのだった。


それ以後、病院でお会いしたIさんともお会いしていなかったのだった。
何年も会っていなかったIさんが、「父は今は議員はしていないのですが、Sさんの家に捨てていかれる犬や猫の問題のことを気にしていました。何もしてあげられなくて申し訳なかった、とも言っていたんです」と言われたのでびっくりした。

当時私は、町の全議員に、捨て猫捨て犬が多い現実を訴え、これからの時代は、『捨てればいい、殺せばいい』という方策を続けていてはいけない。こどもたちの教育にも決してよくない、と文書で陳情したのだが、正式な陳情ではないということで拒否の返事をくれた議員をのぞいて誰からも無視されたのだった。

久々に会ったI議員の娘さんが、私の顔をみるなりそのことを言われたというのは、よほどI議員の心に残っていたのだろうと思い、何か胸にせりあがってくるものがあった。
あの時議員として何もしていただけなかったが、この方たちは、その後、犬や猫の命を無責任に無慈悲にしてはいけないと、理解をされてこられたに違いないと思い、しみじみと嬉しかったのだ。


私のように、組織的な活動をする能力も気持ちもなく、ほんとに非力に無能に生きている者でも、自分が直面した問題を、ささやかでも真剣に言葉や文章に出して発することは、それがかすかであろうと確かな道筋をつくっていくことになるのだとあらためて思った。自分の洞察したものを、自分の言葉で。上にも下にもなるのではない、自分の洞察と思いと言葉をただひたむきに伝えようとする。それだけでいいのだ。

思えば、こけながらころびながら、人の悪意や嘲笑や作為をあびることもあり、壊れそうになり、いや壊れたこともあった、それでも変わらず生きてきた。悲しみと虚しさの方がいっぱい多かった。でもやっと、それでもいいのだ、変わらず生きる、と確かなものが土台になってきた。・・・そんなことを認識した再会であった。


相変わらず非力で無能な生き様でしかないだろうが、でも、悲しみと虚しさを遠ざける努力はできよう。