加藤和彦さんの死を引きずっている

ラジオで加藤和彦さんの遺書に触れていた。それによると、『(略)人が冷たい・死にたいのではなく、生きるのをやめたい』という意味のことが書かれていた、ということだった。


このことが胸の襞にひっかかっている。
「加藤さんのように、才能を誰からも認められ、誰からも愛され、世事ではなく真実尊敬され、永遠を嘱望されていると見える人でも、私のように崖下で這うが如くに生きているものと同じ痛みを耐えておられたのか・・・」。
こう思い、思うたびに涙が滲む。今となってはどうか安らかにおやすみくださいと祈るしかない。


人は優しい。人は親切だ。・・・だが、この優しさと親切は、個人個人の永遠を抱きしめることはできない。それができるのはイエスであり親鸞であり空海であり、目覚めた人々であろう・・・。でも私たちの多くは、そうした人々にそれと知らず石を投げずにはいられないように生きている。それが人間なのであろうと思う。
加藤さんは、そうした全てをご存じで、だからこその死の道への旅立ちであったのだろう。


私が死なないのは、現実のいくつかの重荷を果たさなければという必死の責任感であり、これらの重荷こそ天から与えられたと知るからだ。天は私を苦しめるためでも、試すためでもなく、未成熟な私を生かすためにそうされているのだろうと。