注入の失敗

5日のことである。この日は千葉に行きその足で世田谷まで行く用事があった。
四泊のショートスティが決まっていて、朝、いつものように夫に胃ろうからの注入をした。施設に行くので、夫に心持ちよそ行きの服を着てもらい、私も久しぶりに電車に乗るので心持ちお洒落をして行こうと、ちょっとばかりいそいそしていた。
それで、夫の注入の管がはずれていくのに全く気づかなかった。終わって、「終わりましたよ〜、たまきさんに行きましょう」と声をかけて、注入の用具を片付けようとして衣服がびしょびしょになっていることに気づいたのだった。ギョギョーである。つまり夫は朝ごはんも薬も身体に入ってないということだ。でももう一度やり直すには時間がない。横着な私は自分の都合を優先して、注入のエンシュアと薬を他の日にちの分より余分に持ち、施設に行ってわけを話し、朝のうちにエンシュアと薬の注入をお願いして出かけた。


この始末を、自分が管を接続したつもりで、夫の腹部のしわの間に挟んだだけにしたのだと思い、『なんてミスをしたのだろう』とがっくりしていた。以前に町内の病院に入院していた時、やはり同じことが何回かあって、看護師さんはそれを夫が抜いたのだと主張されていたのを思い出し、『あれも看護師さんのミスだったんだ』と思った。看護師さんのことは別に今更とがめだてする気持ちなど起きなかったが、この5日の件は自分のうっかりといいかげんさがほんとにがっくりきてしまい、私は出かける前からひどく疲れたのであった。


世田谷には、のんびると関わりのあるKさんの朗読を拝聴するために行ったのだった。私のムシの方舟という作品の中から、シュワッチマセを朗読をしてくださるのだった。
朗読はすばらしく、私はひととき深い楽しい思いにひたった。また会場でのんびるのTさん、Yさん、Tさん、Kさんの四人ともお会いし、懐かしくも嬉しかった。朗読会の後、Kさん、Tさんともお話ができたことも気持ちが満たされた。


こうしてとてもいい日になったのだが、ただやはり身体に少しきつかったようで、後胃と腹部の痛み、それから足がやたらつって眠ることもままならないことになってしまった。こんな状態でも犬たちの散歩には行くなどやはり無理をして、今日は顔のむくみと歩く一歩さえも重くて情けないことこの上ない。
明日は犬たちには申し訳ないがお休みするゾ。


追伸:注入の管が抜けたのは、どうも夫が抜いたようだ。6日に施設で様子を訊いたのだが、管を抜いてなめていた、ということではないか! 
退院してから元気なのはいいのだが、部屋の中を歩き回り(いつの間にかイスから立ち上がって)電気のコード
は抜きまくる、電気製品は解体しようとするなどなど目がはなせない。