歎異抄第十三条

親鸞仏教センターから出版されている歎異抄十三条の入り口に、『第十三条には、「宿業」という言葉が出てきます。「宿業」は運命論ではなく「感覚」である、と表現した人もいます。「今存在する自分」は、無数の背景や条件のもとに成り立ってきました。これを受け止めることが、つまり、阿弥陀の本願にたすけられるということなのです。』と書いてあります。


この十三条を読んで、はっと新たな気づきをした思いをもちました。前に、歎異抄から受ける親鸞を、「この世のものとは思えぬ厳しさ」と書きましたが、それに加えて、「なんと素朴でシンプルなのだろう」と。


これまで、何人かの人から、どうしてもわからぬ所業を受け、そのことと相手に苦痛のともなう嫌悪感をずうっと覚えていましたが、それが少し晴れてきた気がしてきました。“「今存在する自分(他者)」は、無数の背景や条件のもとに成り立っている”とするシンプルさは、爽快で痛快でなんともいえず心地よいのです。