よくやるねぇ

夕方暗くなって家に帰ろうと病院の下駄箱で靴を履き替えていたら、「お帰りですか」と声をかけられた。お姑さんらしい方を介護している方だ。この方は、毎日休みなく朝から夜まで病院にいらっしゃる。
「はい」と答えると、「あんた、毎日よくやるねぇ」とねぎらってくださった。私は恐縮して、「いえ、とんでもない。私はちょこちょこと顔を出すだけですからどうってことありません」と言った。すると、その方が、「いやぁ、よくやってるよ、見ればわかるよ、他の誰もあんたみたいにできないよぉ」と言われた。いかにも親身な感じであった。私はびっくりした。ほんとにそんな風に言われるほどのことはしていない。

でも、私をよく言わない継母が、たったひとつほめてくれるのが、「Kさん、Tさんの面倒見がいいねぇ。会うたびに感心するわ。私はあなたのお父さんと結婚する前、家政婦や病院の介護しみたいなことしていたから、その人がほんとに親身に面倒しているかどうか分かるの。Kさんにはいつも感心してるのよ」ということだった。
近所の何人もの人も、夫の介護に関してはほめてくださる。


こんなことをいきなり書き出したからと言って自慢をするためではない。私は親にも夫にもほめられたことがなかった。そのほめられないで育った私が、こうしてなんとか何事にもそれなりに明るくのんきに生きてこられたのは、こうして他人から親身にほめられてきたからだ、と思う、ということを言いたいのだ。
人間、ほめられないと歪みますからね。くじけやすくもある。そういう意味で、天の采配とは公平だと思うのだ。