夫の様子や車のこと

■車
二三日前から車のエンジン音がおかしい。今にもエンストしそうな感じ。「?」と思ってオイル交換の適切日を書いたシールを見たら、ナント5000キロもオーバーしている。
いつもお世話になっている修理工場に駆け込んでみていただく。


こんなこと言ってはなんだけども、そうしたシールを見て事前に気をつける、という力もないくらいバテテいる。やらなきゃいけないことをやっているんだけども、その枠外のことをあらたにしあんければならない、というのが、それがほんの何でもないことであっても、もうそれをやらなきゃ、と思うだけで破裂しそうな・・・。電話もそうである。かかってきたとき、たまたま電話のそばにいればとって話せるのだが、そばにいないと、電話のそばにも行けないことがある。着信記録があって知ってる人ならたいていこちらからかけていたが、それも出来なくなった。


なんだろなぁ、この重い疲労感。
そういう中でも、このブログはこうやって書ける。むしろこうしてぐだぐだ連ねるのが必要な感じだ。でも責任のともなうものに対して、気が重くて重くて・・・もうほんとの限界にきているようだ。


■病室での最近の夫
家に帰りたいのだ。元気がなく寂しそうである。それが気になって一日に三回病院に行くのだが、帰るたびに背中が重くなる。


夫は私とはまた違った形で不器用で社会性が乏しい人だ。私も息子たちも、夫に甘えることはなかった。家族を甘えさせる懐を持たない人であった。そのことが私や息子の寂しさだった。そして、私たちが寂しいと感じる分、夫もまた満たされず寂しかったに違いない。


これまでずうっと、そのことが苦しかった。時に、激しい憎しみすら覚えた。
でも、この頃、思うのです。不器用で社会性が乏しくて、他から常に落胆とともに見られていて、でも誰かの悪口を言ったりすることのなかった夫を、私は天から預かったんだなぁと。もしかしたら、夫以上に社会性が乏しく、生きる場も見つけられない私こそ、夫は預かってくれたのかもしれない。


はっきりわかっているのは、私たちはホームレスだということ。