飯島愛さんの死

数日前に亡くなられていたそうだ。どこかの新聞の見出しには、「孤独死」とあったという。
思わず瞑目し愛さんのために祈った。


有名無名を問わず、誰かが行き倒れのように一人で亡くなられた、ということを知ると、自分も早晩そうなるだろうなぁ、次こそ私かもしれない、と思ったりする。以前から、猫や犬が道端で骸となっているのを見かけると、私も死ぬ時はあのように死ぬのだろうな、と思った。


そうした死そのものはそれはそれでいいのだ、と思うものがある。
だが、そうした死を迎えるまでの、何時間か何十分間かあるいは何日か、その時間の寂しさや恐怖や悔いや苦痛などを耐えなければならないそれを、怖く感じる。


愛さんが安らかに神様に迎えられたことを心から祈ったのだ。