突然に退院をした

そうなる流れになったきっかけはこれである。

鎖骨の下の血管にカテーテルを差し込んでの点滴がずうっと続いていて、三日ほどまえから腫れて血がにじみはじめていた。
この腫れは気にしなくていいものでしょうか、の私の当然の問いから、思わぬ顛末に傾斜していったのである。医師は、この私の問いに、「これは大丈夫ですよ、よくあることです」や「これはいけませんね。治療しましょう」という医師らしいきっぱりとした返事ではなく、「あぁ、こういう人もいますねぇ」とあやふやな返事だったのだが、おそろくこの時、『いちいちとがめだてする』ととられたのだろう。


彼らにとって、患者、特に高齢や認知症の患者は、ただの商品になってしまっているのだろう。患者の家族にとっては、たった一人の、夫や親や子供や友達であることがもはやわからなくなっているのだ。もしそれがわかっていれば、家族が、医療や医師や看護師に不審に感じたことを問うのは当たり前のことだ、とわかるだろう。
そして、食事がとれるようになっている夫が、今も点滴が続けられ、ベッドに放置されていることの理由を訊いたこの当然の質問に、いきなり「食事が必要なら、いくらでも頼めばいいじゃないか!」とわめきたて、はては先だって、つくばのリハビリ専門の病院に転院したいと申し出、結局そこは受け入れられずに終わったことを言い出し、「すぐに○○病院に行け! たった今、出ていけ!」と言ったのである。
それを受けて、「わかりました、すぐに出ます」と応えたのである。


この私の反応は意外だったらしく、自分が感情的になった、と言葉の撤回を意味することを言われたが、それもまた患者を心配してのことではない。彼は、「訴えられる」ことを恐れていた。
看護師は、「自分たちが悪かったです。申し訳なかった」と私の肩を抱かんばかりにして言われた。この人は、横柄な態度の人であった。夫はこの人を常に恐れていた。その看護師が「申し訳なかった」と詫びられた。
「もう遅いです。私があれほど、食事はまだ出ないのですか。足が使えるように訓練はされないのですか、と嘆願してきたのにあなた方は無視を続けましたね」と私は言った。私の肩におかれていた看護師の手が、「はっ」という声を発したように力を失った。


医師は、点滴の針を抜く前、何度も何度も、「いいですか、針を抜くのを決めたのは、奥さんですよ」と私に念を押した。「先生、ずるいですね。お互い、自分が発した言葉に責任を持ちましょうよ」と私は最後の念押しに対してそう応えた。この医師の胸にあったのは、告訴されるんじゃないか、という不安だけだったのだろう。私は奇異に感じた。何も訴えられることをしていなければ、そんなことは思わないだろうに、と。
「告訴など考えていませんよ」と答えたら、ほおっという色が医師の顔に広がった。この医師はワルモノではない。そのことは終始わかっていた。だが私がこの医師に二度と心を開くことはない。


看護師は、私と夫が下に降りる時、「車に乗るまで手伝いましょう」とついてこられようとされたが、それも私は拒絶した。この女性も横柄で一方的な人だったが悪い人ではない。だがいっときも早くこの人の見えないところに行きたかった。


強引な退院で、夫の身に何かあったら、それの全ての責は私にある。
私たちは、この病院の一般病棟三階で、「いじめにあっていた」。この事実は紛れもなくあった、と確信した。それに関して、いじめに加担した人たちが、個々に何かを思うべきことだろうと思うが。
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医療の腐敗は、制度の不備だけのことじゃないのだと、つくづく思い知った今回の入院であった。
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医療の崩壊を予測する人は多いが、2008年12月4日の夜の体験は、私のような現実離れをした人間にもそれを実感させた。医療の核であるはずの「患者の尊厳」をわかっている医療従事者はどれほどいるのだろうか。医療の場で、患者の尊厳などひとかけらも持たない人々によって「一応生きている、形に置かれる人」は増えていくのだろう、この底知れない恐怖に近い悲しみの、「実感」。
そして、医療の場という組織が守ろうとしているのは患者ではなく、どんな時でも守られるのは医療従事者たちだ。それをつきつけられた、「実感」。