病院からの請求書&介護保険料金の追加徴収通知

昨日、8月の請求書が届いた。半月弱の期日分である。現在の我が家の家計では思わずビビッてしまうほどの額になっていた。紙おむつ代が高いことと、リハビリ料金が入っていることに釈然としない気持ちがふと出る。
8月中は点滴と酸素吸入をつけたまま殆ど寝たきりだった。足が弱ってはいけないと、私が毎日マッサージをしたり、ごく軽い屈伸運動を手助けしてさせていた。・・・リハビリはいつされたのだろう?
9月に入ってここ数回、たしかにリハビリ室に行っているが、これが請求される半月後がオソロシイぞ。また紙おむつってこんなに高い?



そして町役場からは、夫、私ともどもに、介護保険の追加徴収額の知らせも届いていた。これが年金から引き落とされるのだという。
後期高齢者問題の騒ぎがあった時、テレビ報道の中で、「殺す気か」「死ねというのか」という言葉を出していた何人もの人を観たが、再び実感する。


我が家の門扉のあたりや、近辺に、犬猫を捨てる人が多く、私たちの限界をはるかに越え、もはや私たちは経済、世話する力ともに尽きている。どうか町の名前で、捨ててはいけないことの説得力のある看板を立てて欲しいと何度も依頼したが、それすら心をこちらに開いて聞いてもらったことはなかった。通り一遍のチラシを束にして我が家のポストに入れておかれたこともある。こんなもはや何の力もないヘンジンには、これでいいのだ、ということであったのだろう。
残念ながら、この程度の人(状態)が、それなりの指導的位置を獲得して、そこで得る権力を駆使しているのが現実だ・・・と時々うんざりとして思う。


いやぁ、また愚痴っちゃったヨ。やめよう、やめよう。
矢玉四郎さんが「ぶたの一声」というブログに、このようなことを書いていらっしゃいます。

自分をたよりにする
原始仏教釈尊がいわれたことの一つに「自分をたよりにしなさい」ということばがあります。

(略)

お寺さんでは「自灯明」という言葉で説明します。自分の光をたよりに暗闇を進め」ということですが、インドの原典では「灯火」ではなく「島」となっています。「洲」と書いた方がいいかもしれません。

最近、このことがよくわかる気がする。わからなくても、結局はこうやって生きてきたんだろう。だから今更この世に生じることのあれこれにおたおたすることはないんだけど、根が小心だもんでついつい思い煩う煩悩に悩まされてしまうヨ。こんな時はせめて笑い飛ばそう。貧すれば何とかというし、今のわたしはそれなのかも。